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2022.07.26

沸騰する世界最大の映画大国 インド映画縦横無尽⑭

「ミュージカル」としてのインド映画

松岡環

『ラジュー出世する』

1.正統派ミュージカル『ラジュー出世する』

 ラジュー出世する(1992)【2022年7月15日~9月12日配信】を三度目か四度目に見た時のこと。『ラジュー出世する』は最初に見たあと気に入ってインド版のビデオを手に入れ、友人たちとの共著「インドがやがや通信」(トラベルジャーナル、1994)に紹介文を載せたり、自宅でのインド映画上映会に使ったりしたことから、1997年の日本公開以前にかなりの回数見ていた。当初は気がつかなかったのだが、何度目かになると耳が挿入歌のメロディーに慣れてくる。すると、最初のオープニングタイトル部分の音楽に挿入歌が使われていることに気がつき、まるでハリウッドのミュージカル映画みたいだ、と感心したのだった。

『ラジュー出世する』

  『ラジュー出世する』の音楽は、ジャティン=ラリトという兄弟作曲家コンビによるもので、歌は7曲作られた。うち1曲は、編曲の異なるヴァージョンがラストに使われているので、使用曲としては8曲になる。登場順に書くと、以下の通りである。

①「Dil Hai Mera Deewana(僕の心は舞い上がってる)」

②「Kya Hua(どうしたんだ)」

③「Raju Ban Gaya Gentleman(ラジューが出世した)」

④「Seene Mein Dil Hai(胸には心)」

⑤「Tu Mere Saath Saath(私と一緒に)」

⑥「Kehti Hai Dil Ki Lagi(心の中で君への愛がささやく)」

⑦「Tham Tham Tham(タムタムタム)」

⑧「Raju Ban Gaya Gentleman/Sad(ラジューが出世した/お涙ヴァージョン)」

 オープニングタイトルに使われているのはこの内の2曲で、タイトルソングとも言うべき③「ラジューが出世した」と、一番印象に残る曲⑥「心の中で君への愛がささやく」である。どちらもごく短い引用なのだが、この使い方がハリウッド映画『ウェスト・サイド物語』(1961)の「序曲」を思い出させたのだ。

 『ウェスト・サイド物語』の「序曲」には、「トゥナイト」「マリア」「体育館でのダンス」等4曲がアレンジされて含まれている。これらの曲をバックに、マンハッタンの摩天楼を描いたイラストが様々に色を変えるオープニング・シーンは、これぞハリウッド・ミュージカルの幕開け、と大いに話題になったものだ。『ラジュー出世する』はそれより短い引用だが、これはまさに正統派ハリウッド・ミュージカルの手法。インド映画も欧米のミュージカル映画をよく学んでいるのだな、と当時思わせられた瞬間だった。

『ラジュー出世する』

2.インド映画ならではのミュージカル・シーン

 『ラジュー出世する』の幕開け部分の曲①「僕の心は舞い上がってる」のシーンは、歌の間に空間移動する処理が別世界に旅立つラジューの高揚感と共に観客をストーリーに引き込む。歌っている時は東インドの山間部の町ダージリンにいたラジューが、歌が終わると西インドの海岸の街ムンバイ(映画撮影当時はボンベイ)に到着して、この大都会に一歩踏み出しているのである。直線距離にして約1,800㎞、本来なら列車で丸2日はかかるところを映画では5分で移動しているのだが、それでも観客には心躍る旅が実感できるシーンだ。ダージリンではモンゴロイド系の顔立ちの人が多く、チベット仏教の僧侶らも画面を賑わせていたが、西インドの中心地ムンバイでは様相が変わる。

『ラジュー出世する』

 ムンバイの下町でラジューをとりまくのは、友人ジャイや恋人レヌを始め、ヒンドゥー教徒の人たちが多い。しかしながら、皆が根城にしているティーハウスというかお茶屋は、経営者ラフィークも従業員アブドゥルもイスラーム教徒だ。また、お茶屋の常連客であるパン屋のジョゼフはゴア出身のキリスト教徒だし、さらにお茶屋の客ではないが、ラジューがアルバイトする図書館のオーナーはカーワスと言い、パールシー教徒(ゾロアスター教徒)である。ムンバイでは日常的に見られる多宗教的光景だが、インドのセキュラリズム(世俗主義)を体現するこのようなキャラクター配置が、以前のボリウッド映画ではよく選択されていた。

 さらに本作では、歌にもセキュラリズムが反映されていて興味深い。それが③「ラジューが出世した」で、日本風に言うと歌詞が3番まであるのだが、それぞれに曲調が異なっている。1番は洋楽ポップス風、2番はお茶屋の店主ラフィークが歌い手となるイスラーム教音楽カッワーリー風、そして3番は、1961年までポルトガル領だったゴアのマーチングバンド風で、パン屋のジョゼフが歌う。2番と3番の最後にはヒンドゥー教徒の住人たちが出て来て締めの歌詞を歌い、2番と3番の間には大道芸人のジャイが歌うラップ調の「この世はカネ次第」が入る、というバラエティ豊かな曲構成になっている。多様性に富んだインドを具現化した、楽しいミュージカル・シーンである。

『ラジュー出世する』

3.ベッドシーンに代わるナンバー

 そして、観客が一番驚くのが、⑥「心の中で君への愛がささやく」ではないかと思う。ラジューとレヌの二人がテラスで演じる、究極の恋の駆け引きシーンである。

 まずラジューがレヌに大胆なベアトップのドレスを贈り、同色の靴も用意する。そして、部屋で着替えてくるように頼む。丈長のドレスだが、ボディ部分は下着一歩手前というデザインで、もちろんレヌは躊躇する。それを説き伏せて送り出し、テラスで待つラジューに、風が吹き付ける。ヒロイン登場時のお約束、“風が吹く”シーンだ。姿を現したレヌは肌を露出し、輝くばかりの美しさだが、そこはインド映画のこと、ちゃんと素肌を覆う大判のベールも手にしている。そして、逃げるレヌと追うラジューという形の、様々な絡み合いが続くのである。

 これは実は、ベッドシーンなのだ。エロティックで扇情的であり、見ている方はゾクリとする。漁師の網を使った演出など心憎いばかりだが、振り付けたのはサロージ・カーンだと思われる。サロージ・カーンは2020年に71歳で亡くなってしまったが、1970年代から振付師として活躍し、特に1980年代後半以降はあらゆる映画に引っ張りだことなった人気女性振付師である。検閲の規制の厳しいインド映画ではベッドシーンは許可されず、キスは禁止されてはいなかったものの誰もあえて危険を冒そうとしなかった時代に、踊りにおいてエロティシズムを表現しようとした人だ。

『ラジュー出世する』

 インド映画が欧米のミュージカル映画と違う所は、このエロティシズムを具現化するナンバーを加える、という点にあったのでは、と思う。それをヒロインが担うか、あるいはヒロイン以外が担うかはそれぞれの監督の判断であるが、これは恐らく、インド映画の約束事“ナヴァラサ(9つの情感)”のうちの“シュリンガーラ(恋情、色気)”を表現するのに、最も適した手法だったのだろう。エロティシズムまでは行かず、コケットリーぐらいの表現にとどまっているナンバーも多いが、ソング&ダンスシーンにおける性表現に関しては、検閲側のチェックもかなりゆるめであったようだ。

 後年このエロティシズムを具現化するソング&ダンスシーンには、“アイテム・ソング”という呼び名が定着し、踊りを担当する女優たちは“アイテム・ガール”と呼ばれた。『ダバング 大胆不敵』(2010)で「ムンニーは名を落とした」を踊ったマライカー・アローラーがその代表格だが、現在ではトップ女優がゲスト出演してアイテム・ソングを担当することも多い。ラームとリーラー(2013)【2022年7月6日~9月3日配信】のプリヤンカー・チョープラーが、その好例である。

『ラームとリーラー』

4.サンジャイ・リーラー・バンサーリー監督の『ラームとリーラー』

 サンジャイ・リーラー・バンサーリー監督は、インド映画をミュージカルに仕立てることに関しては、タミル語映画のマニラトム監督と並ぶ第一人者だろう。そもそも、監督第1作のタイトルが『Khamoshi: The Musical(沈黙:ミュージカル)』(1996)である。ろうあ者夫婦とその娘、そして娘を愛する青年の結び付きを描いたこの作品は、手話と音楽に溢れた秀作だ。第2作『ミモラ 心のままに』(1999)は日本でも公開されたのでよく知られているが、その他JAIHOで配信された『デーヴダース』(2002)、『ラームとリーラー』、『バジラーオとマスターニー』(2015)等々、バンサーリー監督はミュージカルとしても素晴らしい作品を何作も世に出している。

『ラームとリーラー』

 中でもJAIHOで配信されたこの3作は、ダンスシーンのフォーメーションが素晴らしい。『ラームとリーラー』の中では特に、「ラームのエントリー・シーン」と呼ばれる「タッタル・タッタル」の歌のシーンが壮観だ。このシーンは、先頃公開されたイギリス映画『ストーリー・オブ・フィルム 111の映画旅行』(2021)にも引用されていたが、マーク・カズンズ監督のコメントが確か、「フケを落とすような振付」だったのには笑ってしまった。振付はベテランのガネーシュ・アーチャーリヤで、この人はいつも、観客がつい真似したくなるような振付を見せてくれて大人気だ。

 前述したプリヤンカー・チョープラーのアイテム・ソング「ラームとリーラー どっちがどっちを愛しても」は、後半部に入ってしばらくして登場する。振付は若手のヴィシュヌ・デーヴァで、少々潤いには欠けるものの、プリヤンカー・チョープラーの衣裳とエロティシズム全開のダンスで魅力的なナンバーに仕上がっている。

 ミュージカル映画のテクニックに関しては、インド映画はハリウッド映画の優秀な継承者だ。ここ10年余り、素晴らしい「ミュージカル」作品を生む土壌が痩せてきているのは悲しいが、再び大輪の花が開くことを願っておこう。

『ラームとリーラー』

【『ラジュー出世する』作品ページ】

『ラジュー出世する』予告編

【『ラームとリーラー』作品ページ】

『ラームとリーラー』予告編