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2022.06.23

沸騰する世界最大の映画大国 インド映画縦横無尽⑬

新しい視点のフェミニズム映画『ピンク』

松岡環

『ピンク』

1.『ピンク』旋風

 映画ピンク【2022年5月30日~7月28日配信】がインドで公開されたのは2016年9月16日。出演者のうち、著名なスターがアミターブ・バッチャンだけだったことから、公開前にヒットを予想した人は少なかった。主演女優タープシー・パンヌーは、今でこそ名前もよく知られているが、当時はまだ南インド諸言語の映画を中心に活躍しており、北インドでの地名度は低かったのである。

 そんな、アミターブだけが頼りの作品が、いざ公開されてみると新聞やネットの映画評ではこぞって★4つ以上が付き、中には満点に近い★4.5を進呈した映画評も登場して、人々の目を引いた。さらに口コミでも評判が広がり、ヒットの目安となる興行収入100カロール(カロール=1,000万)=10億ルピーを超え、最終的には157.32カロール、15億7320万ルピーを稼ぐスマッシュヒットとなったのである。製作費が3億ルピー(当時のレートで5億2,500万円)だったので、5倍以上の興収を挙げたことになる。

 その理由は、今回ご覧になった皆さんにはよく納得できることだろう。実に計算され尽くした脚本で、冒頭のサスペンスが最後まで強度を失わず、特に裁判シーンに入ってからは緊迫の場面が続いてゆく。世間の人々、とりわけ男性が持つ女性への偏見が、アミターブ演じる弁護士によって次々と暴かれていくのだが、返す刃で女性たち自身どころか、観客にまでも切り込んでいくかのような、迫力満点の作品なのだ。

ピンク

 主人公の3人の女性、ミナール(タープシー・パンヌー)、ファラク(キールティ・クルハーリー)、アンドレア(アンドレア・タリアング)はそれぞれ仕事を持ち、ニューデリー南方のしゃれた集合住宅地でフラットを1つ借りて同居、つまりシェアハウスして暮らしている。3人はある夜コンサートの帰りに金持ち青年ラジヴィールとその友人らに誘われ、郊外にあるリゾートホテル(ホテルにスポーツ施設等を併設したもので、部屋が独立したコテージ風の作りになっているものもある)で飲食を共にする。その後、ラジヴィールがミナールに体の関係を迫り、拒否した彼女が彼の頭をビンで殴って怪我を負わせたことから、殺人未遂事件として訴えられる、というのが事件の様相である。

 大物政治家の甥であるラジヴィールには、2人の友人に加えて、政治家の配下(ヴィジャイ・ヴァルマー)も付き従っている。彼らはミナールたちを売春婦同様とみなして事件後も様々な嫌がらせをしたあと、自分たちが強姦未遂で告発されそうだと知ると、老練な弁護士プラシャント(ピーユーシュ・ミシュラ)を雇って、反対に殺人未遂で訴えたのである。この事件がどのように着地するのか、観客は最後まで手に汗を握らされることになるが、ミナールたちの弁護士ディーパク・サイガル(アミターブ)が彼女たちに率直すぎる質問を投げかけるシーンもあり、観客も様々に翻弄される。

ピンク

2.老弁護士ディーパクの復活劇

 アミターブ演じる老弁護士ディーパクは、敏腕弁護士だったが10年ほど前に引退した、という設定になっている。大物弁護士だったようで、現在でも警察上層部に顔が利く。しかしながら、年齢のせいか知的活動に衰えが見られ、ずっと薬を服用している(ある映画評では「双極性障害(Bipolar disorder)」と言及されていたが、むしろ軽い認知症という感じである)。そんなディーパクが、かつてのような弁護ができるかどうか自分でも不安に思いながらも、隣人として目にしてきた法律知識のない女性たちに、自ら申し出る形で力になろうとする。本作は、老いた弁護士ディーパクが現場に戻ることによって復活していく物語、として見ることもできる作品だ。

 復活をより印象づけるためか、アミターブには過度の老けメイクが施されている。アミターブは1942年10月11日生まれなので、現在の実年齢は79歳。本作公開時は74歳だったのだが、それよりももっと上に見えるよう、総白髪、白い髭や眉、顔や首筋のしわなどが付け加えられたようだ。そして、これは日本人にとっては謎の格好だったと思うが、ディーパクは散歩等で外出する時、まるで防毒マスクのようなマスクを着装する。

 実はこのマスクは、デリーの大気汚染のひどさを表しているのだ。コロナ禍以前、日本では北京の大気汚染の深刻さがよく報道され、PM2.5等の大気汚染物質についても関心が寄せられたが、インドのニューデリーも北京に劣らず大気汚染がひどいのである。コロナ禍前のインドではマスクをする人はごくまれだったものの、公害等社会悪に敏感な人、というキャラクターにするために、ディーパクにこんなマスクを付けさせさたものと思われる。

『ピンク』

 導入部から裁判の初めあたりまでのディーパクは、非力ぶりが少々作りすぎの感があるが、それがあるからこそ、後半の舌鋒鋭く「女子の安全マニュアル」等を説いていく彼の姿が大きく迫ってくる。インドに存在する女性差別、地域差別、そして階級差別を、これほどまでにわかりやすい表現で、峻烈に提示してみせた作品は、他に類を見ない。

 地域差別とは、北東諸州と呼ばれる、アッサム等8つの州への偏見で、モンゴロイド系住民が多いこと、キリスト教徒が多く文化が違うこと、中央政府との確執が長期にわたって続いている地域があることなどから、北インドのアーリア系住民らは差別意識を持つことが多い。本作ではアンドレアがメガラヤ州の出身と紹介され、証言台に立つ人々の中で、なぜ彼女だけが出身地を問われなければならないのか、とディーパクは批判する。

 さらに、原告である政治家の甥ラジヴィールからは、他の人間を見下している証拠を引き出し、傲慢な彼の人格を崩壊させていく。もちろん柱は女性差別だが、これら地域差別、階級差別も見る者にグサリと刺さる。最後にディーパクが述べる「“ノー”は“ノー”です。たとえ相手が顔見知りでも、友だちでも、恋人でも、セックスワーカーでも、妻であっても、“ノー”は“ノー”なのです」という陳述は、インド映画史上初めて明確化された、肉体関係における女性差別批判の言葉ではないかと思う。

ピンク

3.ボリウッドにおけるベンガル人監督の活躍

 本作の緻密で斬新な脚本と演出は、ベンガル出身の映画作家たちならではのものだ、と言ってしまうのは行き過ぎかも知れないが、彼らが瞠目すべき存在であることは間違いない。監督のアニルッド・ロイ・チョウドリーは、『ピンク』以前に4本のベンガル語映画をコルカタ映画界で撮っており、『ピンク』がヒンディー語映画への初進出となる。彼をムンバイに引っ張ったのは、本作のクリエイティブ・プロデューサーであり、ヒンディー語映画界で『僕はドナー』(2012)や『ピクー』(2015)等個性的な作品を撮ってきたシュージト・サルカールで、コルカタ生まれのベンガル人である。ヒンディー語映画界はその黎明期からベンガル語映画界とは密接な関係を保ってきており、ベンガル人の監督、俳優、音楽家、歌手などは、ヒンディー語映画の発展に大いに寄与してきた。近年も、『バルフィ!人生に唄えば』(2012)のアヌラーグ・バス監督、『女神は二度微笑む』(2012)のスジョイ・ゴーシュ監督らが活躍し、ひと味違うヒンディー語映画を世に送り出している。

 本作はまた、ニューデリーが舞台でありながら、いろんな所にベンガル・ファクターが潜ませてあり、脇役としてベンガル人の大物俳優が出演している。まず、ディーパクの妻を演じているのがマムター・シャンカルで、マムターは1980年代を中心に、サタジット・レイ、ムリナール・セーン、ゴータム・ゴースといったアート系の監督作品に数多く主演した女優である。もともとが、著名なシタール奏者ラヴィ・シャンカルの兄で、舞踊団を持っていた舞踊手兼振付家ウダイ・シャンカルの娘であり、マムター自身も優れた舞踊手でもある。本作では病人役で、セリフも少ないが、ディーパクと3人の若い女性たちとが心を通わせ合う手助けをする、重要な役を演じている。

 もう1人の大物俳優は、裁判長を演じるドリティマン・チャテルジーだ。彼も1970年代以降、レイやセーンなどベンガルのアート系作家たちに愛された俳優だが、『女神は二度微笑む』等ボリウッド映画にもいろいろ顔を出している。今回彼が演じた裁判長の名前は「サティヤジート・ダット」と言い、「サティヤジート」は「サタジット・レイ(正確なカタカナ書きはヒンディー語ではサティヤジート・ラーイ)」から、「ダット」は「グル・ダット」からの命名であろう。『渇き』(1957)や『紙の花』(1959)の監督グル・ダットはベンガル人ではないのだが、ウダイ・シャンカルのもとで舞踊の修業をした、ベンガルとも縁の深い映画人で、『渇き』はカルカッタ(現コルカタ)を舞台にしている。

 こんな風に時には遊びを入れつつも、アニルッド・ロイ・チョウドリー監督とシュージト・サルカールは、真っ向から女性問題を取り上げてフェミニズム映画の新しい地平を切り開いた。インドでは今年に入っても10歳の少女を3人の男が暴行した事件や、複数の警官による13歳の少女に対するレイプ事件などが起こっている。“ノー”と言うだけでは防げない非力な女性たちの被害はどうすればよいのか―インド映画が描くべきテーマは、まだまだ山積している。

ピンク

【『ピンク』作品ページ】

『ピンク』予告編