• HOME
  • COLUMN
  • 沸騰する世界最大の映画大国 インド映画縦横無尽⑫

2022.05.24

沸騰する世界最大の映画大国 インド映画縦横無尽⑫

『ムンナー兄貴』シリーズとラージクマール・ヒラニ監督

松岡環

『ムンナー兄貴、医者になる』

1.監督デビューを飾った『ムンナー兄貴、医者になる』

 ムンナー兄貴、医者になる【2022年5月3日~7月1日配信】が2003年12月19日にインドで公開された時、恐らく誰も、この映画がヒットするとは思っていなかったはずだ。監督は新人のラージクマール・ヒラニで、有名監督の二世でもなく、「誰、それ?」という感じ。主演のサンジャイ・ダットはその前年、タランティーノの『レザボア・ドッグス』(1992)をパクった『トゲ』(2002)をアミターブ・バッチャンとのダブル主演でヒットさせてはいたものの、すでに全盛期を過ぎた俳優である。しかも、主人公は「ムンナー兄貴(バーイー)」と言うらしく、そこに「M.B.B.S.(医学部卒業生の学士号)」がくっつくのはワケがわからない。

 「バーイー」は普通「兄弟」という意味で、狭義の「男兄弟」から、もっと広い意味の男性を表す言葉としても使われる。さらに特殊な使い方として、ヤクザの親分、マフィアのボス等を呼ぶ場合に使われる単語でもある。まさに日本語の「兄貴」と似た単語なのだが、一方「ムンナー」は「坊や」という意味なので、こんな名を名乗るヤクザやマフィアがいるとは思えない。そんな謎だらけの作品だったのだが、公開されるとすぐさま大人気となり、「ジルバー・ジュビリー」と呼ばれる25週ロングランを達成したあとも、国内300以上のスクリーンでの上映が続くヒット作となったのである。

 『ムンナー兄貴、医者になる』の何が、そんなにも観客を惹きつけたのだろうか。

ムンナー兄貴、医者になる

 一つには、タイトル同様意表を突くストーリー展開があげられる。ヤクザのムンナー兄貴は、故郷の父親に「ボンベイで医者をしている」とウソをつき、それがバレて父親の信頼をなくしたあと、一念発起して医学部に入学する。階級差のあるインドでは、あり得ない展開である。しかも、入試は替え玉、およそ学問などしていないのに、大学や大学病院の矛盾を突き、まっとうな批判をズバリと投げかける。権威主義者はコテンパンにやっつけられ、観客は拍手喝采して溜飲を下げる。

 二つ目は、見事な脚本である。笑いの合間には、思わず涙するシーンが上手に配されている。母親伝授の「魔法のハグ」から始まって、ついには寝たきりの患者をも動かすムンナー兄貴の人間味溢れる振る舞いは、観客全員をムンナー兄貴のファンにした。ヒラニ監督と、プロデューサーで自身も監督であるヴィドゥ・ヴィノード・チョープラーの共同脚本の勝利である。

ムンナー兄貴、医者になる

 三つ目は、ムンナー兄貴と子分サーキットの取り合わせの妙だ。2人が話すのはムンバイの下町言葉で、自分のことをヒンディー語の「マィン(私)」ではなく「アプン」と言う。元はムンバイの地元言語マラーティー語のスラングらしいが、「おいら」とか「俺っち」とかいう感じだろうか。他にもいくつかこの手のスラングが入っていて、そんな言葉で2人がかわすとぼけたやり取りは観客に大ウケした。ムンナー兄貴とその女房役サーキットは、庶民のヒーローとなったのである。

 このほか、サンジャイ・ダットの父親である往年の大スター、スニール・ダットが劇中でも父親役を演じたことも話題になった。当時、俳優から国会議員に転進していたスニール・ダットにとっては、結局本作が最後の出演作となったのだが、サンジャイ・ダットは最後の親孝行をしたと言える。こうして「ムンナー兄貴」ファンがインドのみならず世界中に出現、続編が待たれることになった。

『ムンナー兄貴、ガンディーと出会う』

2.ユニークさを証明した『ムンナー兄貴、ガンディーと出会う』

 待ち望まれた続編は、2006年9月1日に公開された。『ムンナー兄貴、ガンディーと出会う』【2022年6月配信予定】である。実は原題は邦題とは違っていて、『Lage Raho Munna Bhai(その調子で、ムンナー兄貴)』と言う。「ラゲー・ラホー」は訳するのが少々難しく「そのままやり続けろ」ぐらいの意味であるが、この題に決まるまでには「ムンナー兄貴ガンディーと出会う」等、タイトルが二転三転したという。

 この続編が完成する前年の2005年、ジャヌー・バルア監督作のヒンディー語映画『私はガンディーを殺していない』が公開され、商業的ヒットには至らなかったものの話題となった。定年退職した大学教授が認知症を患い、幼い時弓でガンディーの写真を射て怒られた日にガンディーが暗殺された記憶が甦り、苦悩するストーリーである。ヒラニ監督はこの映画とはまったく別にガンディーを登場させることを考えていたのだが、偶然にも2作が重なり、さらに2007年にはフィローズ・アッバース・カーン監督の『ガンディー、わが父』という、息子ハリラールとガンディーの関係を描いた作品が公開されるなどして、この時期ちょっとしたガンディーブームが起きた。

『ムンナー兄貴、ガンディーと出会う』

 ベン・キングズレーがガンディーを演じたリチャード・アッテンボロー監督作『ガンジー』(1982)以降、インドではガンディーが主役、または脇役として登場する歴史映画がたびたび作られ、いろんな俳優がガンディーを演じてきたのだが、『ムンナー兄貴、ガンディーと出会う』は観客を大いに驚かせた。歴史の文脈で登場するのではなく、現代の日常生活の中にガンディーが現れたからである。言わば「幽霊としてのガンディー」であり、この難しいキャラクターをヒラニ監督と新たに加わった脚本家アビジャート・ジョーシーは、巧みな脚本で上手に処理して観客を煙に巻いた。

 ガンディーはご承知のように「非暴力」を唱え、「サティヤーグラハ(真理の把握)」と呼ぶ非暴力抵抗運動を推進したが、ガンディーの思想と行動の理念はヒンディー語で「ガンディーワード(ガンディー思想、ガンディー主義)」と呼ばれる。ところが本作では、それを表す言葉としてムンナーは「ガンディーギリ」を使う。「~ギリ(ギリー)」は「○○風を吹かせる、偉そうに~する」というような意味で、もっぱらヤクザなどの行動に対して使用する。よく使われるのが「ダーダーギリ」で、「親分風を吹かせる」「ゴロツキ、ならず者の振る舞い」といった意味だ。

 そんな「~ギリ」と「ガンディー」がドッキングするとは、という感じだが、観客にはこの響きが新鮮に感じられたらしく、「ガンディーギリ」が本作公開当時流行語となった。ガンディーはその後のヒラニ監督作では、『PK/ピーケイ』(2014)でお札に描かれた人物として登場している。今回の配信作2本で、ヒラニ監督の全作品が日本語字幕で見られるようになったわけだが、それによりヒラニ監督作が相互に密接な関係を持っていることも見えてきた。

ムンナー兄貴、ガンディーと出会う

3.ヒラニ監督の仕事は続く

 日本でのヒラニ監督作品公開は、『きっと、うまくいく』(2009)がまず2010年にしたまちコメディ映画祭で上映され、その後2013年に公開されて大ヒットした。続いて『PK/ピーケイ』(2014)が2016年に公開されたが、宗教問題は日本人観客には難物だったらしく、ヒットには至らなかった。この『PK/ピーケイ』では、新興宗教の導師が宇宙からやってきた主人公から大いに批判されるのだが、導師を演じたソウラブ・シュクラーは、『ムンナー兄貴、ガンディーと出会う』でも占い師に扮して登場している。『PK/ピーケイ』の導師の原型は、おそらくこの占い師に違いない。

 さらに、ムンナー兄貴を演じたサンジャイ・ダットの伝記映画『SANJU/サンジュ』(2018)は日本で2019年に公開されており、サンジャイ・ダットのデビュー以降30数年の足跡を辿ることができる。『SANJU/サンジュ』ではランビール・カプールがそっくりさん演技でサンジャイ・ダットを演じているのだが、『ムンナー兄貴、医者になる』の再現シーンも登場している。

 ヒラニ監督作品5本を見比べてみると、同じ俳優を何度も起用している例が目に付く。一番顕著なのは全作出演のボーマン・イラーニーで、最初の3本は敵役なのだが、『ムンナー兄貴、医者になる』と『きっと、うまくいく』では学長役で、その進化ぶりも面白い。今回の「ムンナー兄貴」2本にも、ジミー・シェールギルが重要な役で出ているし、最初に公園のココナツ売りで登場したローヒターシュヴァ・ゴゥルは、2作目では出世(?)して、ラッキー・シンの秘書役で登場する。彼はまた、『PK/ピーケイ』でも警官役を演じているのだが、こんな風に「ヒラニ組」と呼べるような脇役俳優たちが何人もいて、それを発見するのも楽しい。

 そのヒラニ監督は、先日から新作の撮影に入っている。タイトルは『DUNKI(ダンキー)』と言い、主演は何と! シャー・ルク・カーンである。製作開始宣言のような、シャー・ルクとヒラニ監督が登場するティーザーも4月19日にYouTubeにアップされ、あちこちで話題になっている。一体どんな映画が出来上がるのか、公開日として宣言されている2023年12月22日を楽しみに待ちたい。

演出中のヒラニ監督

【『ムンナー兄貴、医者になる』作品ページ】

『ムンナー兄貴、医者になる』予告編