「王国映画」の伝統を受け継ぐ『マガディーラ 勇者転生』
3月27日のラーム・チャラン誕生日を祝って配信されるS.S.ラージャマウリ監督作『マガディーラ 勇者転生』(2009)【2022年3月27日~4月25日配信】は、輪廻転生譚であり、前世のパートは1609年、ラージャスターンに栄えたウダイガルという王国が舞台になっている。もちろん実際には存在しなかった王国で、ラージャスターン州にウダイプルはあっても、ウダイガルという地名はない。
インドはご承知のように、古代から様々な王国が栄枯盛衰を繰り返してきた国だ。中でもラージャスターン州は、「ラージャ(王国)+スターン(場所)」という地名からもわかるように、多くの王国が存在した土地である。州内各地の名前もそれにちなんだものが多く、「ウダイ(ウダイ・シン2世)+プル(町、都市)」、「ジャイ(ジャイ・シン2世)+プル」、「スーラト(スーラト・シン)+ガル(城、城砦)」等々、数え上げると切りがない。
『マガディーラ』の「ウダイガル」は「ウダイの城」という意味で、サラット・バーブ演じるヴィクラム・シン王の系譜をさかのぼった王国の創設者が、ウダイ・シンという名前の王だった、という設定なのだろう。脚本も担当したラージャマウリ監督と、その父で原案を提供したV.ヴィジャエーンドラ・プラサードは、『バーフバリ』二部作(2015、2017)からも感じ取れるように、インドの歴史に関しても豊富な知識を持っている。本作では、それを映画にいかに落とし込んでいくか、というわざを磨いて、その後の『バーフバリ』に繋げて行ったのでは、と思われるが、その過程でインド映画史上たくさん作られてきた「王国映画」からも学んだのでは、と推察できる。
『マガディーラ』では冒頭に前世シーンが出て来たのち、数分して画面は現代のハイダラーバードに切り替わり、その後1時間ほど経って、今度は完全に前世のシーンとなる。この時王宮内の広場が出てくるのだが、この広場の感じは、インド初のカラー作品として人気を博したヒンディー語映画『アーン』(1952)に登場する王宮内広場によく似ている。円形で、門を入った正面に王家の座所があり、門から王家の座所までの両側には観客席が広がっている、という、言わばコロシアムの変形パターンだ。
「王国映画」としては、『アーン』と同年の1954年に日本公開されたタミル語映画『灼熱の決闘』(1951)も有名だが、広場はもっと違ったデザインになっている。さらに『バーフバリ』では、王宮内広場は建物に囲まれた広大な町ぐらいの敷地になるなど、史実に基づかない「王国映画」ならば、様々に空想の翼を広げてデザインできる。
『マガディーラ』にはほかにも、王女のベールを巡ってのチェイスシーンが繰り広げられる砂漠や、クライマックス・シーンの舞台となるシヴァ神の聖地など、視覚的にインパクトのある造形が登場し、強い印象を残す。『マガディーラ』の劇場用パンフレットでラージャマウリ監督は、「VFXを多用し、多くのスタッフと共同作業を行ったこの映画の経験は『バーフバリ』2部作以上に、『マッキー』(2012)の企画に活かされたと思います。」と語っているが、1作1作階段を確実に上がり、『バーフバリ』2部作が完成した、ということなのだろう。
映画製作の共同作業終了を言祝ぐような、エンドロールのソング&ダンスシーンも楽しい。ラージャマウリ監督までもが踊っている姿は、実に貴重である。再びラージャマウリ監督とラーム・チャランがタッグを組んだ『RRR』は、何度かの公開延長を経て、3月25日に姿を現す。
実話を追うサンジャイ・リーラー・バンサーリーの歴史劇
一方、サンジャイ・リーラー・バンサーリー監督作『バジラーオとマスターニー』(2015)【2022年3月24日~5月22日配信】は、1720年4月に19歳でマラーター王国(マラーター同盟)の宰相の地位に就き、1740年4月に39歳で亡くなったバジラーオ1世の20年間を描く。その100年ほど前の北インドでは、1526年に成立したムガル帝国の第3代、アクバル大帝が、領土を最大限に広げてのち1605年に没した。この時から100年ほどがムガル帝国の全盛期だったのだが、18世紀に入るとその領地はデリー周辺部だけとなり、すぐ南側にはマラーター王国が強大な国を築くことになる。
マラーター王国の創始者は英雄シヴァージーであり、現在のマハーラーシュトラ州を中心とする地域で彼がいかに敬愛されているかは、その名にちなんだネーミングが駅や空港などあちこちに見られることからもわかる。だが第4代の王あたりから、マラーター王国の実権は「ペーシュワー(宰相)」と呼ばれる大臣の手に握られるようになった。バジラーオは亡くなった父の後を継いで第2代の宰相となり、プネーに宰相政権を樹立して、王はプネーから南に100㎞ほど離れたサタラで半ば幽閉状態に置いた。やがてマラーター王国は近隣の諸侯と手を結んで政治的連合体となり、マラーター同盟と称するようになるのである。
その強大なマラーター同盟の基礎を築いたのがバジラーオなのだが、彼は本作にも描かれたとおり、ヒンドゥー教徒のバラモン(最高位の僧侶カースト)の家系ながら、ムスリム(イスラーム教徒)の王女マスターニーと惹かれ合い、彼女を第2夫人として迎える。マスターニーの父はヒンドゥー教徒の国王だったものの、母がムスリムだったため、マスターニーは母に従ったのだが、バジラーオ側の人々には異教徒の第2夫人は受け入れがたかったようである。
ただ、だからといってマスターニーを抹殺したわけではなく、家系図にはマスターニーもその息子も明確に名前が記されている。バジラーオは最初の妻カーシーとの間に4人の息子をもうけており、バジラーオ亡き後は、長男バラジ・バジラーオがその次の宰相となった。一方、マスターニーとの間に生まれた男児も、クリシュナ・ラーオからシャムシェル・バハドゥルと改名したが、両親亡き後はカーシーに養育されて成長し、結婚して子孫を残していった。ペーシュワーの家系図には、シャムシェル・バハドゥルの名もその子孫の名も、ちゃんと載せられている。
このバジラーオ――のちに孫の1人がバジラーオ2世と名乗ったので現在はバジラーオ1世と呼びならわされている――の後半生を描いたのが、本作『バジラーオとマスターニー』である。バンサーリー監督は史実をさらに膨らませ、華麗な恋物語と陰謀渦巻く宰相の館での権力闘争劇として描いており、かねてより顕著になった豪華絢爛志向が遺憾なく発揮されている。実際にバジラーオが暮らしていたシャニワール・ワーダーという城が現在もプネーに残っているが、もっとずっと質素なものであり、本作のために作られたセットが壮大すぎて、そのギャップに驚かされる。「絵になる」ことが要求される、映画ならではのマジックだ。
その「絵」に生命を与えているのが、ランヴィール・シン、ディーピカー・パードゥコーン、プリヤンカー・チョープラーという3人の主演俳優たちだ。3人ともハマリ役で、特にカーシー役のプリヤンカー・チョープラーの演技が光る。時にはマスターニーに嫉妬心、敵愾心を抱くが、同じ男を愛する妻として、またその男の子供を産んだ母として、マスターニーに共感する心を持つカーシー。プリヤンカー・チョープラーの演技は人々の心を捉え、数々の賞に輝いた。その中には第61回フィルムフェア賞もあるが、プリヤンカー・チョープラーの助演女優賞以外にも作品賞、監督賞、主演男優賞等々、合計9部門で受賞し、人々を驚かせた。リアルな歴史劇ながら、魅力に溢れる作品である。