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2021.11.26

巨匠たちが尊敬した日本人 香港映画史を撮った男⑥

第6回:ブルース・リーの『ドラゴンへの道 4K』(1972)

江戸木純

『ドラゴンへの道 4Kマスター版』 © 2010 Fortune Star Media Limited. All Rights Reserved.

 西本正は1969年にショウ・ブラザースから独立し、CM製作会社を設立して、それが軌道に乗り、そちらの仕事が忙しくなったため、70年代には映画の撮影本数は激減し、特別に依頼される作品だけを撮るようになる。

 ブルース・リーの初監督作『ドラゴンへの道 4K』【11月27日~12月26日】もそんな1本だった。

『ドラゴンへの道 4Kマスター版』 © 2010 Fortune Star Media Limited. All Rights Reserved.

 マフィアの脅威にさらされる中華レストランを救うために香港からやってきたクンフーの名手の活躍と激闘を描く、数多くの西部劇や時代劇で語られてきたシンプルな定番ドラマだが、逆にそのシンプルさがアクションの見せ場を際立たせると同時に、幼い頃から子役として香港映画界で活躍していた俳優ブルース・リーの演技力の確かさもしっかりと披露する、ブルース・リーの魅力のショウケースのような作品になっている。

 『ドラゴン危機一発』(1971)と『ドラゴン怒りの鉄拳』(1972)にあった悲壮感はほとんどなく、さらに『燃えよドラゴン』(1973)の狂気や死の匂いもまだ見えない、逆にこれまで意図的に封印されていたブルース・リーの屈託のない陽気さと人間的な温もりを前面に出して物語には随所にコミカルなユーモアが漂っている。一方、アクション・シーンは複数のギャングを1人で倒す前半の戦いから、ラストの1対1の死闘までバラエティに富み、映画史上初のダブル・ヌンチャクから棒術、手製の投げ矢など、各種武器も駆使して見せ場を作り、映画全体が自らの“ジークンドー”の精神や哲学の具現化のような格闘技映画としても完璧な仕上がりとなっている。

『ドラゴンへの道 4Kマスター版』 © 2010 Fortune Star Media Limited. All Rights Reserved.

 イタリアのローマで行われたロケは香港映画界初のヨーロッパ・ロケで、この映画の後、『無敵のゴッドファーザー/ドラゴン世界を征く』(1974)、『ブルース・リの復讐』(1982)など、多くの香港製クンフー映画がこの地でロケされることになった。最強の2人が古代ローマの遺跡コロシアムで戦うというコンセプトを具現化させてしまった大胆さ(内部は香港でのスタジオ撮影だが)も、この映画を格闘技映画史に残る傑作にしている。

 前2作の熱狂が覚めやらぬ中、観客の期待も当然大きく膨らんだが、ブルースはそれに見事に応え、72年末に公開されたこの作品は、香港で530万香港ドルを稼ぎ、ブルース・リー映画史上最大の大ヒット作となった。日本では75年の正月第2弾作品として東映洋画の配給で公開され、前2作を超える配給収入7億7200万円を上げる大ヒットとなった。初公開時の正式題名は『最後のブルース・リー/ドラゴンへの道』だった。

『ドラゴンへの道 4Kマスター版』 © 2010 Fortune Star Media Limited. All Rights Reserved.

 まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだったブルース・リーが初めて監督も兼任する注目の作品の撮影に、リーが指名したのが西本正だった。これは当時、西本正が“香港映画界最高の映画カメラマン”だったことの証に他ならない。

 先月までJAIHOで配信されてきたショウ・ブラザース時代の10作品を見てきて、西本がいかに凄いカメラマンであったか圧倒されてきたが、これまで何度見てきたかわからない『ドラゴンへの道』を、改めて見てみると、ブルース・リーが出演したいかなる作品よりも、完璧な構図と見事なアップで彼のアクションだけでなく人間的魅力までもが、フィルムにしっかりと焼き付けてられていることに驚かされる。

 『ドラゴンへの道』と、この直後に撮影された『死亡遊戯』(1972撮影)における生前のブルース・リーが出演しているシーンが、ブルース・リー主演作の中で今も別格の輝きを保っているのは、間違いなく、それを西本正が撮っていたからだ。

「ドラゴンへの道 4Kマスター版」 © 2010 Fortune Star Media Limited. All Rights Reserved.

 白眉はやはり、『ドラゴンへの道』におけるチャック・ノリスとの対決シーン。4K修復版で見るそのクライマックスは、筋肉の躍動やにじむ汗までがリアルに感じられ、まるで2人が今戦っているライブ映像を見ているかのようだ。

 製作から49年、この映画の後、世界中で数限りない作品の中で格闘技対決が演じられ、無数のアクション・スターたちが華麗なるアクションを繰り広げてきた。しかし、ひとつの戦いの中にドラマ性やエモーションまでが濃厚に込められ、格闘技が芸術にまで昇華している、この頂点を極めた2人の本物の格闘家が演じた壮絶な死闘を超える格闘アクションは未だ作られていない。そして、西本が撮った『ドラゴンへの道』と『死亡遊戯』のアクション・シーンは、その後の格闘技アクションの最良のお手本となった。西本の仕事は、「格闘技アクションとはどう撮るべきか」という基本を後世に残したという点でもしっかりと評価されるべきだし、アクション映画における撮影者の重要性はもっと語られるべきだろう。

 ブルース・リーは、続くハリウッドとの合作『燃えよドラゴン』(1973)も西本に撮って欲しいとギャラも前払いで全額支払われていたという。だが、監督のロバート・クローズは英語ができないという理由で西本の起用を拒否し、大手スタジオ作品はほとんど未経験のギルバート・ハブスが撮影を担当することになった。

 もちろん、『燃えよドラゴン』も非の打ち所のほとんどない傑作である。だが、もしあの作品を西本正が撮っていたら…、『死亡遊戯』の追加撮影シーンを西本が撮っていたら…、今さら想像しても無意味だが、どうしても考えてしまうのだ。

「 死亡遊戯 」© 2010 Fortune Star Media Limited. All Rights Reserved.

 西本は、『ドラゴンへの道』と『燃えよドラゴン』撮入で中断されるまで撮られていた『死亡遊戯』のアクション・シーンの後、今村昌平の企画で今村プロと西本の会社の合作によるホラー・コメディ『勾魂艶鬼』(1974)、日本では『Mr.Boo!』シリーズ第3作として公開されたが、実際には最初に撮られていたゴールデン・ハーベスト製作のマイケル・ホイの監督デビュー作『Mr.Boo! ギャンブル大将』(1974)、同じくゴールデン・ハーベスト製作のマリア・イー主演の韓国ロケ・クンフー映画『タイガー・オブ・ノース/北少林』(1974)などを撮影。ショウ・ブラザースの特撮ヒーロー映画『中国超人インフラマン』(1975)【12月1日まで配信中】が最後の撮影担当作となった。また、日本と香港の合作『孔雀王 アシュラ伝説』(1989)ではコーディネーターを務め、プロデューサーの一人としてクレジットされている。

 西本正は90年代後半まで香港で暮らし、その後日本に戻り1997年1月25日、日本で死去した。享年76歳。その年の7月1日、香港はイギリスから中国に返還された。

「 死亡遊戯 」© 2010 Fortune Star Media Limited. All Rights Reserved.

 今回配信される『ドラゴンへの道 4K』は、香港で修復された4K映像に1975年の初公開時に東映洋画が製作したマイク・レメディオスの英語主題歌入り日本初公開時プリントの英語音声を使用、その音声に合わせて主題歌のイントロがかかるオープニング・テロップを追加、主題歌のエンドまでエンディングも静止画を追加して延ばした日本だけのバージョン。2020年に劇場公開された「ブルース・リー 4Kリマスター復活祭2020」で上映されたものと同じマスターを使用している。主題歌のバックに被せられている怪鳥音はブルース・リー自身のものではないが、日本公開版音源は一切手を加えず、全編そのまま使用されている。

 最後になってしまったが、香港で撮影監督として活躍した日本人が西本正だけではなかったことは記しておきたい。特に武侠映画の巨匠チャン・チェ監督の伝説的傑作群の多くで撮影を手掛けたカン・ムートー(龔幕鐸)こと宮本幸雄も、香港映画史に残る素晴らしい仕事を残したことについては、あまり語られておらず、ほとんど知られていない。

 1967年に古川卓巳監督がショウ・ブラザースに招かれて『黒鷹』と『風流鉄漢』を撮った際に香港に同行し、その後チャン・チェ監督の『大盗歌王』(1969)を担当して気に入られ、『続・片腕必殺剣』(1969)、『嵐を呼ぶドラゴン』(1974)、『五毒拳』(1978)など70年代のチャン・チェ監督による主要作ほぼすべてを撮影した。宮本は撮影としてクレジットされている数だけでいえば1985年のダニー・リー監督作『トラフィック・コップス クレイジー・ドライバー/拖錯車』まで50本を超え、西本以上の作品を撮ったことになる。西本の偉業の陰に隠れ、カン・ムートーが日本人であることすら知らない人がほとんどだが、香港の武侠映画の傑作の数々はほとんど日本人カメラマンが撮影していたのである。

参考文献: 「香港への道 中川信夫からブルース・リーへ」(西本正/山田宏一・山根貞男、筑摩書房)