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2021.10.01

巨匠たちが尊敬した日本人 香港映画史を撮った男④

ユエ・フォンの『花木蘭/男装の将軍ムーラン』(1964)と井上梅次の 『釣金亀/億万長者と結婚する方法』(1968)

江戸木純

『花木蘭/男装の将軍ムーラン』© 2004 CELESTIAL PICTURES LTD. All Rights Reserved.

 60年代初め、香港、台湾では梁山伯と祝英台(1963)【10月11日まで配信中】の大ヒットによって黄梅調(中国語時代劇ミュージカル)映画ブームが起こり、数多くの作品が製作されたが、花木蘭/男装の将軍ムーラン(1964) 【10月1日~10月30日配信】は、『梁山伯と祝英台』で主人公の一人、梁山伯を演じてブレイクしたリン・ポーの一枚看板で製作された超大作。物語はディズニー・アニメやその実写版などでもお馴染みの“ムーラン”の物語。『梁山伯~』ではリン・ポーが全編男装で男性の梁山伯を演じ、ロー・ティが男装のヒロイン、祝英台を演じていたが、本作ではリン・ポーがヒロイン、ムーランを演じ、男装して戦場に向かう。リン・ポーの抜群の歌唱力と彼女の“男装ぶり”を見所にした『梁山伯と祝英台』の姉妹編的意味合いが強い作品だ。

『花木蘭/男装の将軍ムーラン』© 2004 CELESTIAL PICTURES LTD. All Rights Reserved.

 「花木蘭」は、本作が作られるまでにも何度も映画化されてきた物語だが、決定版的な本作の後には、1998年にディズニー・アニメが登場するまで1本も作られていない。ミュージカル・スタイルであることからも、本作がディズニー・アニメのモデルの1つであることは間違いない。ただ、ディズニー版は当然、物語をかなり大胆に脚色している。

 本作ではムーランは12年間の戦争が終わるまで、自分が女性であることを明かさないが、ディズニー版では早々にそれを明かし、闘うヒロイン映画であることを強調する。確かに、その部分はこの物語を現代に復活させるために必要不可欠なポイントだったのだろう。

 劇中後半、登場人物たちが「梁山伯と祝英台」の物語について語り、ムーランが歌う場面がある。彼女は、梁山伯は3年間一緒に学校で勉強していたのに祝英台が女だと気がつかなかったが、12年も一緒に戦場で戦ったのに誰も彼女を女と気づかなかったと戦友や上官を笑顔で責めるのだ。

 古典劇のお約束として見るべき題材ではあるが、正直、12年間も気が付かないというのはどう考えてもリアリティが無さ過ぎ。今観てもすべての観客が突っ込みを入れる部分だ。

『花木蘭/男装の将軍ムーラン』© 2004 CELESTIAL PICTURES LTD. All Rights Reserved.

 ユエ・フォン監督は、香港映画界の伝説的超ベテラン職人監督。1910年生まれで、1929年に上海で映画界に入り、当初は抗日映画などを撮っていたが、日中戦争中は強制的に日中合作映画に参加させられた。稲垣浩監督との共同監督作『狼火は上海に揚る』(1944)はその当時の作品だ。戦後、香港に渡った彼は香港映画界の創成期からエース監督として活躍、74年に引退するまでにショウ・ブラザースを中心に90本以上の作品を手がけた。作家として評価されることはほとんど無く、日本では72年に撮ったクンフー映画『燃えよ!ジャガー(嶺南之虎/工夫小子)』がテレビ放映されたくらいでほとんどが未公開のため、まったくといっていいほど知られていないが、その作品のほとんどは見事なまでにプロフェッショナルな娯楽作で、彼が香港映画に果たした役割はとても大きい。西本正にとってもとても仕事のしやすいプロの監督だったらしく、香港時代に最多の9本で組んでいる。本作はユエ・フォン監督の手堅い演出が観られという点でも重要である。

 キャスト面ではやはり主演のリン・ポーの魅力に注目したい。『梁山伯と祝英台』では全編男役だったため、女性的なアピールは封じられていたが、本作では彼女本来のコケティッシュな魅力が随所に発揮されている。彼女はその後、『14アマゾネス 王女の剣』(1972)や『ゴールデン・スワロー/魔翔伝説』(1987)などのアクションやホラーなどにも数多く出演し、香港映画界のレジェンドの一人となった。その辺りの作品もぜひJAIHOで配信して欲しいところだ。

 本作のヒーローはムーランが想いを寄せる李将軍を演じた『狂恋詩/狂った果実』(1968)【10月3日まで配信】のチン・ハン。『狂恋詩~』では役柄に個性がマッチせず、本領を発揮できていなかったが、本作はおそらく彼にとって初の大役で、フレッシュで健康的な軍人を爽やかに演じて魅力的だ。その他、今回も『ドラゴン危機一発』のリー・クン、『燃えよドラゴン』のホー・リーヤンが顔を見せ、彼らがこの時代のショウ・ブラザース作品に無くてはならないバイプレイヤーであったことが改めて認識できる。また、ムーランの弟役を若き日のウー・マが演じているのも香港映画ファンには嬉しいお楽しみといえる。

『釣金亀/億万長者と結婚する方法』

 今月のもう1本は、井上梅次監督の釣金亀/億万長者と結婚する方法(1969) 【10月16日~11月14日配信】。『香港ノクターン』(1967)で大成功を収めた後、井上は香港と日本を往復しながら数多くの作品を監督、何と67年から71年いっぱいまで約4年間に17本の香港映画と8本の日本映画を撮った。本作は香港での6本目の監督作で、1969年の年間興行成績9位に入る大ヒット作となった作品だ。

 物語は、井上お得意の“三人娘もの”ミュージカル・コメディ。ナイトクラブのダンサーをしている3人の娘が、大金持ちをゲットして結婚しようと奮闘するという『紳士は金髪がお好き』(1953)に『百万長者と結婚する方法』(1953)を足したようなストーリーに、台湾、日本、タイでの海外ロケを盛込み、“喜劇・旅行シリーズ”的観光映画の要素も加味して展開する軽快かつかなりベタなエンタテインメント。原題の“釣金龜”とは金の亀(大富豪)を釣るという意味。

『釣金亀/億万長者と結婚する方法』

 “三人娘”を演じるのは、『香港ノクターン』のリリー・ホーとチン・ピンに加え、ブルース・リー・ファンにはお馴染みのベティ・ティンペイ。お馴染みといっても、実際に彼女のまともな演技を見た日本の観客は少ないだろう。

 1973年7月20日にブルース・リーが彼女のマンションで倒れ、その後死亡したというスキャンダルは有名だが、彼女の映画出演作は本人役で出演した『実録/ブルース・リーの死』(1975)や魔性のお色気要員として参加の『暗黒街のドラゴン 電撃ストーナー』(1974)くらいしか公開作がなく、彼女がどの程度のスターだったのか知る術はほとんどなかった。因みにティンペイは、リン・ポー主演の『14アマゾネス 王女の剣』にも14人の女剣士の一人で出演している。

 本作はそんな彼女が、台湾からショウ・ブラザースに招かれメイン・キャストの一人を演じた1本。芝居もダンスも歌も決して上手いとは言えないが、妖艶で不思議な唯一無二の魅力は十分に感じられるハズだ。

 実は彼女、井上監督作には本作の他、『謀網嬌娃』(1968)、『青春萬歳』(1969)、『女子公寓』(1970)、『玉女嬉春/幸せの黄色いマフラー』(1971)【10月28日~11月26日配信】の5本に主役級で出演その多くの撮影を西本正が担当していた。

 これまで日本ではお騒がせスキャンダル女優としてしか知られず、今やブルース・リーの公式な伝記にはその存在さえなかったことになっているベティ・ティンペイ。だが、間違いなく彼女も一時期ショウ・ブラザースの看板を担ったスターだったのだ。

『釣金亀/億万長者と結婚する方法』

 前回のコラムでショウ・ブラザースの日本人監督作の多くに助監督で付いたカイ・チーホンについて触れたが、今回も1人の助導(助監督)について注目して欲しい。

 それが、『釣金亀/億万長者と結婚する方法』に助導として本名でクレジットされている日本人助監督、増田彬。クレジットにこの名前を見て驚き、そして作品を見てさらにビックリした。

 他の作品にはクレジットはされていないが、増田は『香港ノクターン』をはじめ井上梅次監督作品の多くでチーフ助監督を務めて現場を仕切り、帰国後も井上の代表作となったTVの「明智小五郎シリーズ」のほとんどで助監督を務めた人物。井上作品だけでなく、松竹の社員助監督だった増田は、60年代中盤以降の松竹での瀬川昌治のほとんどで監督助手を務め、『喜劇・開運旅行』で共同監督としてクレジットされているのをはじめ、脚本にも大きく関わった。三隅研次が松竹で撮った遺作『狼よ落日を斬れ』も彼の監督助手作品だ。30年近く助監督を続け、あえて監督昇進せずに松竹大船撮影所に君臨した知る人ぞ知る怪物的映画人である。

 実は30数年前、私がこの業界に入って最初に仕事をした撮影所出身の業界人が増田彬氏だった。私は日本語字幕製作会社の新入社員で松竹の担当だったが、増田氏は定年間際で松竹の撮影所からビデオ部から移動となり、ビデオ化作品のマスター・チェックの担当としてやってきた。

 威圧感のある風貌も言動も最初は怖くて仕方がなかったが、なぜか気に入られ、氏の定年後もしばらく付き合いが続いて、まったく実現しなかったが映画製作の企画などを一緒に進めていたこともある。なぜ監督にならなかったのかも含め、いろいろと聞いた現場話の中に、香港での武勇伝があった。

 今回ばかりは極私的な感想だが、『釣金亀~』を見て一番に感じ、懐かしさに思わず泣けてしまったのは井上梅次監督作品というより、パワフルかつエネルギッシュに、そしてかなり下ネタ満載で暴走する紛れもない増田彬の臭いだった。

 こうした国際製作の場合、監督一人の力ではなく、助監督の力がモノをいうという事実を改めて再認識できたことは、特集“東洋のハリウッド・香港映画の全貌”の大きな収穫である。ショウ・ブラザースのライブラリーは、やはり掘れば掘るほど映画史的金銀財宝が飛び出す、宝の山だったのである

参考文献:

「香港への道 中川信夫からブルース・リーへ」(西本正/山田宏一・山根貞男、筑摩書房) 

「香港・日本映画交流史 アジア映画ネットワークのルーツを探る」(邸淑婷、東京大学出版会)