JAIHOでは、すでに西本正が撮影を担当した作品の中から、香港映画界の巨匠リー・ハンシャン監督作『楊貴妃』(1962)と『武則天』(1963)を配信してきたが、今月配信される『梁山伯と祝英台』(1963)【9月12日~10月11日配信】は、彼の88作品(Hong Kong Movie Data Baseの集計)ある監督作の中でも最高傑作と評する声が多い代表作中の代表作で、「東洋のハリウッド・香港映画の全貌」特集の中でも目玉の1本だ。
『楊貴妃』と『武則天』は、国を傾けた中国史上の伝説的美女を描く“傾國傾城”という連作企画だったが、『梁山伯と祝英台』は、中国版「ロミオとジュリエット」ともいうべき中国4大民間説話のひとつを”黄梅調”という中国語歌劇スタイルで描いた東晋時代が舞台の時代劇。
”黄梅調”とは、中国安徽省に伝わる民間戯曲で黄梅戯とも呼ばれ、台詞のほとんどが歌曲となっている舞台演劇。それを映画に取り入れたのが黄梅調映画で、1940年代後半から香港や大陸で製作されていたが、この『梁山伯と祝英台』の大ヒットが決定打となって大ブームが起こり、60年代に数多くの作品が製作された。
ただ、製作に2年以上かけた『楊貴妃』や『武則天』と違い、この映画はかなりの突貫撮影で製作が行われた。というのも、当時ショウ・ブラザースとライバル関係にあった映画会社キャセイ・オーガニゼーションでも同じ原作を映画化する企画が進んでおり、競作となっていたからだ。キャセイ側の主演は『楊貴妃』、『武則天』のヒロインで、ショウ・ブラザースを辞めてキャセイに移籍したばかりのリー・リーホアと日本映画『香港の夜』にも出演したもう一人の香港のトップ女優ユー・ミンと、強力だったこともあり、ショウ・ブラザースとしてはどうしても先に完成させて公開したかったのである。
そのため、リー・ハンシャンを総監督に、キン・フーが第二班監督として多くのシーンを撮影、完成した台本もないままに製作が進められた。キン・フーの自伝では、もともと両監督とも、有名ではあっても物語としては単調な原作の映画化にはそれほど乗り気ではなかったという。だが、力量のある演出家2人が、与えられたパートでプロとして最高の仕事をこなし、各々が前後の流れをさほど気にせずその場面、場面の美術や衣装を凝り、喜怒哀楽をふんだんに盛込み、特に歌曲場面に感情をしっかり込めて撮ったショットの数々は、大きな起伏のないドラマにテンポと抑揚を生み、繋げてみれば黄梅調映画の決定版とでもいうべき奇跡の大傑作が完成した。因みに、キン・フーが監督した主なパートは2人の主人公が学ぶ学校のシーンすべてと、祝英台が実家に戻るために学校を去る帰路の部分だという。
リー・リーホアが去った後のショウ・ブラザースを背負って立つ看板美人女優ロー・ティをヒロインの祝英台に、ヒーローの梁山伯には、シャオ・チュエンという別の芸名で数多くの作品に出演しながら、黄梅調映画のプレイバック・シンガーをしていた抜群に歌の上手い若手女優、リン・ポー(この芸名もこの映画出演の際につけられたという)を大抜擢したキャスティングも見事にハマった。黄梅調演劇では女優が男性の役を演じることは珍しいことではなく、この映画でも作品に華やかさを出し、主人公たちの線の細いキャラクターの心情の繊細な機微を強調する意図もあり、その手法が取られたている。
芸術品級に美しい豪華セットを完璧な構図と色彩で切り取った西本正の圧倒的映像や、完成度の高い楽曲の数々も素晴らしく、『梁山伯と祝英台』は、当時の香港映画界の芸術性を極めた、美しくも格調高く、魅力的な作品となったのである。因みに外景シーンは日本でロケ撮影され、ラストの特撮シーンは円谷英二が新東宝のスタジオで撮影したという。
製作は高いテンションを維持したまま進められ、この規模の作品としては短期間(4ヶ月)で終了し、見事ライバルよりも早期に完成。無事公開された映画は、興行的にも批評的にも大成功して、2人の女優はそれぞれが主演する黄梅調映画に数多く出演することになった。その内の1本で、リン・ポーが主演した、ディズニー・アニメをはじめとする“ムーラン”ものの原点『花木蘭/男装の将軍ムーラン』(1964)も、JAIHOで10月に配信予定となっている。
キャストでは他に、梁山伯の従者を『ドラゴン危機一発』(1971)【近日配信予定】、『ドラゴン怒りの鉄拳』(1972)でブルース・リー・ファンにはお馴染みのリー・クアンが演じているのも嬉しいお楽しみだし、さらにマニアックな見どころとして、『戦国水滸伝・嵐を呼ぶ必殺剣』(1971)、『用心棒ドラゴン』(1972)など、数々の名作クンフー映画を撮ることになる女性監督カオ・パオシュが、主人公2人を案じる学校の師母を演じているのも見逃せない。
今月のもう1本は、井上梅次の成功に続いて香港に招かれた日本人監督の1人、中平康監督の『狂恋詩/狂った果実』(1968)【9月4日~10月3日配信】。
中平は、1967年から68年にかけ、西本の口利きでショウ・ブラザースに招かれ、『特警零零九』(1967)、『飛天女郎』(1967)、『狂恋歌/狂った果実』(1968)、『猟人』(1968)の4本を撮り、全作品の撮影を西本が担当した。クレジットに使われた中国語メガホン・ネームは「やすし」からとったヤン・スーシ(楊樹希)だった。
題名の通り、『狂恋歌/狂った果実』は、中平が撮った日活映画『狂った果実』(1959)の舞台を香港に移してのセルフ・リメイク作品である。(因みに『猟人』も『猟人日記』(1964)のセルフ・リメイク)
当然ながら物語の大筋はまったく同じ。だが、ここには石原慎太郎原作・脚本の乾いたザラつきや、石原裕次郎、津川雅彦が演じる青臭い青春の肌触りはほとんどなく、中平演出の尖った映像センスも見られない。物語が同じで、ボート・シーンも同じ日本の葉山で撮影しているにも拘わらず、青春の危うさや反抗的精神など皆無で同じ原作の映画とは思えない。
だが、香港版にはオリジナルにはまったくなかった艶かしさと変態性が漂い、淫乱ヒロインとサイコなストーカーの兄が純朴な弟を翻弄し、狂わせる愛憎サスペンスとしてまったく別の味のある作品となっている。
個人的には、日本映画史上の名作の1本に数えられるオリジナルにはまったく魅力を感じなかったが、この香港版は、そんないかがわしい異常性も魅力的で、オリジナルのパロディ的な楽しさもあって面白く見た。
香港版最大の魅力はヒロインのジェニー・フー。オリジナルの最大の弱点は北原三枝の色気のなさだという気がするのだが、香港版はその部分を逆に映画の強みにした。中国系とドイツ系のミックスという香港映画界でも稀な妖艶さを持つジェニーがヒロインとなり、作品の核として輝くことで、この映画は彼女を見るための映画となっている。日本版に比べ、兄弟を演じるチン・ハンとヤン・ファンの存在感が希薄で、魅力も乏しい分、彼女の魅力がより際立つ。西本正の撮影もビビッドな色彩でジェニーをシネスコ画面の中心に捉え、わかりやす過ぎるほどの明瞭な画面で、喜怒哀楽の明解な芝居とともに、心情や内面ではなく、カメラの前にあるものをストレートに映し出す。その単刀直入な香港映画らしさを楽しみたい1本だ。
また、この作品にいかがわしさや変態性が増している最大のポイントは、副導演(監督補)にクレジットされているカイ・チーホンの存在だろう。カイ・チーホンは知る人ぞ知る香港のカルト監督で、『蛇姦』(1974)、『邪 ゴースト・オーメン』(1980)、そして『魔 デビルズ・オーメン』(1983)など、彼が撮ったパワフルな超絶エロ・グロ映画の数々は香港映画史の中でも一際異彩を放っている。実は中平や井上梅次の香港監督作のほとんどは彼が副導演として付いていた。そして、カイ・チーホンは、西本正を現場の師と仰いでいたという。西本が、『東海道四谷怪談』(1957)や『地獄』(1960)等での多くの経験をチーホンに語り、伝えていただろうことは、彼の作品を見れば一目瞭然。撮影時に中平が中国語で演出していたとは考えられず、現場を実質的にはカイ・チーホンが仕切っていただろうことを想像すれば、この映画の変態性にも合点がいく。ひょっとするとここに漂ういかがわしさは新東宝臭とでも呼ぶべきものなのかもしれない。
カイ・チーホン自身の怪作群のいかがわしさが、西本正経由で受け継がれた新東宝怪談映画の継承かもしれないという考察は別の機会にしてみたい。いずれにせよ、こうした怪作の誕生も、映画界の国際交流の素晴らしき副産物のひとつといえるだろう。実は海外との交流に積極的だったショウ・ブラザースのライブラリーには、国際製作の怪作がまだまだ眠っているのである。
参考文献:
「香港への道 中川信夫からブルース・リーへ」(西本正/山田宏一・山根貞男、筑摩書房)
「キン・フー武侠電影作法」(キン・フー/山田宏一・宇田川幸洋、草思社)