• HOME
  • COLUMN
  • 沸騰する世界最大の映画大国 インド映画縦横無尽㉒

2023.06.15

沸騰する世界最大の映画大国 インド映画縦横無尽㉒

『ブラフマーストラ』のイケおじシャー・ルク・カーン、『パターン』で世界を沸かす

松岡環

『Pathaan(パターン)』

 5月12日に公開された、ランビール・カプール、アーリヤー・バット主演のインド映画ブラフマーストラ(2022)は、日本では少々面白い反応を引き出した。ツイッターに、シャー・ルク・カーンに関する書き込みが溢れたのである。つぶやき方は様々だが、「主役かと思った」「かっこ良すぎ」「素敵すぎた」「イケおじ」「沼に落ちた」等々、「シャー様」への賞賛の言葉が並び、一時は「シャー・ルク・カーン」がツイッターのトレンド入りまで果たしたという。
 ツイートした人たちのバックグラウンドを見てみると、大体三つのカテゴリーに分けることができそうだ。

  ①1997年日本公開のラジュー出世する(1992)時代からのファン

  ②2000年代に入って日本公開された何本かを見ているが、ファンではなかった人

  ③『ブラフマーストラ』で初めて見て、目を奪われた人

 ①の人たちは「誰よりも好きな俳優さん」「素晴らしさが凄みを増した」等つき合いの長さを感じさせるツイートをし、②の人たちは「見たことあるなって思ったら『ラ・ワン』の人だった」とさりげなく「前から知ってる」感を出し、そして③の人たちは素直に驚きのツイートを山のように重ねている。JAIHOでも配信された『ラジュー出世する』以降、シャー・ルク・カーン主演作は計12本公開されているが、2014年公開の『チェンナイ・エクスプレス~愛と勇気のヒーロー参上~』(2013)以降は主演作の一般公開がないこともあって、世代間ギャップが大きくなったようだ。インドと日本に分けて、シャー・ルク・カーン(以下、シャー・ルク)の足跡を紹介してみよう。

『ブラフマーストラ』
© Star India Private Limited.

 インドでは一貫してボリウッド(ヒンディー語映画界)のトップスターであり、アーミル・カーン、サルマーン・カーンと共に「3人のカーン」と呼ばれているシャー・ルクだが、デビューの経緯は、父親が映画関係者であった他の2人とはだいぶ異なっている。
 シャー・ルクは1965年11月2日、ニューデリーに生まれた。父は現在パキスタンになっている英領インドのペーシャーワル出身で、ルーツはアフガニスタンにあり、パターン人の血を引いているという。インド独立運動に身を投じていた父は、デリー大で法律を学ぶために1946年にデリーに来たのだが、翌1947年にインドが独立するとそのままデリーにとどまることになった。この出身背景により、2022年にインドでイスラーム教徒俳優に対するヘイト感情がむき出しになった時、「ルーツがパキスタンにある俳優」として、シャー・ルクの名前が挙げられたこともある。
 1959年に結婚した両親は、1960年に女児を得たあと、1965年に生まれたシャー・ルクをカルナータカ州の海岸の町マンガロールにある母方の祖父母宅に預ける。そこで5歳まで育てられてから、シャー・ルクは当時家があったニューデリーのラージェーンドラ・ナガルに戻る。どちらかというと下町で、父は食堂経営などいろんな商売をしており、中流のまずまずの暮らしだったようだ。だが1981年、父はガンで亡くなってしまう。
 その後もシャー・ルクは学業を続け、大学を卒業するが、子供時代から芝居や映画俳優の真似などが得意だったことから、俳優の道をめざすことになる。当時唯一のテレビ局だった国営TV局ドゥールダルシャン(DD)はニューデリーに本部があり、DDのTVドラマ「Fauji(軍隊)」で俳優デビューを果たしたのが1989年のこと。その頃TVドラマの制作には、のちに『ラジュー出世する』を監督するアジーズ・ミルザーや彼の兄サイード・ミルザー、クンダン・シャーら、ニュー・シネマの監督としてアート系作品を撮っていた監督たちが大勢携わっていた。
 彼らのTVドラマに出演するようになったシャー・ルクは、初めてボンベイ(現ムンバイ)に赴き、撮影に参加する。ニュー・シネマの監督たちの多くはボンベイでドラマの撮影も行っており、シャー・ルクはニューデリーのスタジオとは違う映画のプロの仕事に圧倒される。ニューデリーとボンベイを行き来する大変さに加え、映画の世界に行きたいという希望、そして、1991年4月15日に母を病気で亡くしたことが、シャー・ルクにボンベイ移住を決心させる。最初は単身ボンベイに移ったシャー・ルクだったが、その後ニューデリーでずっと付き合っていたゴゥリーと結婚式を挙げ、ボンベイで暮らし始める。

『ラジュー出世する』

 幸い、いくつかの映画会社から声がかかり、4,5本の映画に出演したシャー・ルクは、翌1992年6月25日に封切られた『Deewana(恋に夢中)』で銀幕デビューを飾る。デビュー初年度に4本もの作品がクレジットされているのは、前年、とりあえず声のかかった作品にいろいろ出演したためで、『ラジュー出世する』もその1本だった。そしてシャー・ルクは、1993年に封切られた『賭ける男』と『Darr(恐怖)』で大ブレイクする。いずれもアンチ・ヒーローもの、つまり悪役を主人公にした作品だった。特にストーカーを演じた『Darr』はヤシュ・チョープラー監督作品で、ここから同監督やその息子アーディティヤ・チョープラー監督、その仲間だったカラン・ジョーハル監督作品に次々と出演して、「キング・カーン」と呼ばれる大スターがボリウッドに誕生することになる。
 テレビ俳優から映画界に入って大スターになった人物は、現在のところシャー・ルク以外には皆無である。90年代半ばから衛星TV放送チャンネルが一挙に増え、娯楽としての存在感が大きくなったテレビだが、いまだに映画界とテレビ界との間には歴然たる格差があり、映画の主演級スターはバラエティには出てもドラマには出演しない。シャー・ルクが「テレビ俳優から生まれた最初で最後の大物スター」になりそうだが、そんなシャー・ルクの主演作が2018年12月21日封切りの『Zero(ゼロ)』以降4年間ないことに、2022年末ファンはじれてきていた。

『ラジュー出世する』

幸運とは言えなかった日本でのシャー・ルク作品

 一方、シャー・ルク主演作の日本公開は前述したように12作品と、スター別の主演作品を数えてみた場合、ラジニカーントと並んでトップを占める。さらに、シャー・ルク主演作には映画祭、あるいはそれに準ずる場で上映された作品も多い。シャー・ルク作品の日本での公開作、上映作を挙げると、以下のようになる。

……………………………………………………………………………………………………………………………
日本で上映されたシャー・ルク・カーン出演作一覧(左の年号は製作年で、日本公開年ではありません)

*『 』~公開作/「 」~映画祭等上映・ソフト化・TV放映作/下線~カメオ出演作
*映画祭略称:IFFJ=インディアン・フィルム・フェスティバル・ジャパン
       IMW=インディアンシネマウィーク&インディアンムービーウィーク

[1992]  『ラジュー出世する』
[1993]  「賭ける男」(TV放映)
[1994]  「時にはYESと言ってくれ」(福岡アジア映画祭1994)、『アシュラ』
[1995]  「カランとアルジュン」(国際交流基金インド映画祭1988)、『シャー・ルク・カーンのDDLJ ラブゲット大作戦』
[1997]  「コイラ~愛と復讐の炎~」、「イエス・ボス」(インド映画チャリティー映画祭2001)
[1998]  『ディル・セ 心から』、「何かが起きてる」(東京国際映画祭2004)
[2001] 「アショカ大王」(インド映画フェスティバル2003)、『 家族の四季 愛すれど遠く離れて』
[2002]  「デーヴダース」(IFFJ2012、IMW2022)
[2003]  『たとえ明日が来なくても』
[2004] 「俺がここにいるから」(IFFJ2012)
[2006] 「さよならは言わないで」(東京国際映画祭2006)、『DON 過去を消された男』
[2007]  「行け行け! インド」(東京国際映画祭2008)、『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム』
[2008]  「神が結び合わせた2人」(IMW2018)
[2009]  「チャンスをつかめ!」(東京国際映画祭2009)2010  「マイ・ネーム・イズ・ハーン」
[2011]  『ラ・ワン』、『闇の帝王DON ベルリン強奪作戦』
[2012]  『命ある限り』
[2013]  『チェンナイ・エクスプレス~愛と勇気のヒーロー参上~』
[2016]  「ファン」(IFFJ2016、アジアフォーカス福岡国際映画祭2017)
[2022]  『ブラフマーストラ』
………………………………………………………………………………………………………………………………

 1990年代に公開や上映がなされたシャー・ルク主演作の約半数は、当時日本で活動していた「インドセンター」という組織によって日本に持ってこられたものだ。インド第9代大統領S.D.シャルマー氏の孫であるというヴィバウカント・ウパデアーエ氏が長となっている組織で、日印間の友好を謳っており、インド映画界にもコネがあるという。1997年の『ラジュー出世する』公開に際しての協力のあと、インドセンターはインドで大ヒットした『DDLJ=Dilwale Dulhania Le Jayenge(勇者は花嫁を連れて行く)』を日本公開するべく動き始めた。しかしながら映画事業に関してはまったくの素人であり、1999年に日本の某社に宣伝等を依頼して公開が動き出したものの、某社の提案で『シャー・ルク・カーンのDDLJ ラブゲット大作戦』という邦題を付けられてしまい、日本では結局ヒットに至らなかった。後年日活が権利を買い直し、『DDLJ 勇者は花嫁を奪う』と題して国立民族学博物館で上映されたりしたが、再公開はなされずじまいのまま今日に至っている。

『Pathaan(パターン)』

 このように、シャー・ルク主演作品は日本で不運な目に遭うことが多く、ほかにも2008年に企画された<ボリウッド・ベスト>では、3本の主演作『家族の四季 愛すれど遠く離れて』、『たとえ明日が来なくても』、『DON 過去を消された男』が上映されたものの、上映素材の不備から色味が変わってしまい、観客から不満が続出した。2012年公開の『ラ・ワン』は、「参加費1円試写会」企画と、「もうためラ・ワン」というキャッチコピーが逆効果となり、また、インド映画最後の本格的「ミュージカル」作品と言える『オーム・シャンティ・オーム』も、某配給会社の思い入れで『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム』という奇妙な邦題になってしまった。宝塚歌劇団が舞台化する時に、副題というか原題の「オーム・シャンティ・オーム」だけにしたのは大正解である。
 そんなシャー・ルク作品だが、一つ特大の思い出をファンに残してくれている。シャー・ルクの来日である。これもインドセンターのアレンジによるもので、シャー・ルクはジュヒー・チャーウラーと共に来日し、2001年9月2日にマスコミの囲み会見、『イエス・ボス』上映時の舞台挨拶、そしてその後のファン参加パーティーへの出席をこなしてくれたのだ。ジュヒー・チャーウラーの夫で実業家のジャイ・メーヘター氏も共に来日しており、彼とヴィバウ氏が親しいことから実現したらしい。その後、上映権の期限が切れる『DDLJ』の最終上映を2003年8月10日に行ったインドセンターは、プリントを約1メートルずつに切り分け、参加者にプレゼントして、以後は映画関係の活動に関わらなくなった。
 そんなシャー・ルク作品@日本だが、インドでは本年1月25日に公開された4年ぶりのシャー・ルクの主演作『Pathaan(パターン)』が大人気を博し、すでに世界中で105億ルピー強(約180億円)の興収を稼いでいる。その人気のほどを現地ムンバイで確かめた身としては、日本でもぜひシャー・ルク人気の復活を、と思っていたところ、『ブラフマーストラ』の「イケおじ科学者シャー様」への反応を知り、大いに勇気づけられた次第だ。『パターン』は映画の中のコードネームだが、それがシャー・ルクのルーツに由来していることもわかった今、この映画をおいて日本でのシャー・ルク復権をもたらしてくれる作品はないように思う。公開されることを切に願っている。

『Pathaan(パターン)』

【映画『ブラフマーストラ』公式サイト】

【『ラジュー出世する』作品ページ】