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2023.02.22

沸騰する世界最大の映画大国 インド映画縦横無尽⑳

2023年のインド映画幕開け~蘇生しつつあるボリウッド

松岡環

『ブラフマーストラ』© Star India Private Limited.

1.インド映画2022興行成績の結果

 昨年12月に書いたこのコラム⑲では、「『南高北低』が続くインド映画界」として、全世界興行収入の額を参照しながら2022年の暫定興収トップ8を挙げた。その後本年2月初めに、毎年「キネマ旬報」誌に書いている「世界のヒットランキング&映画界事情:インド」の原稿を仕上げ、校正が終わったところである。「キネマ旬報」のレポートではこれまで興収20位までをリストアップしていたのだが、本年からは編集部の提案で25位までを挙げることにした。
 コラム⑲の拙稿とは違って、「キネマ旬報」では世界興収ではなく国内興収を元にリストアップしてあるため、微妙に順位や数字が違っている。またデータの出所が、コラム⑲ではWikipedia ”List of Highest-grossing Indian Films”だったのが、今回の「キネマ旬報」版はIMDb”2022 – Indian Films Box Office Report”となるため、これによっても数字が少々異なる。コラム⑲とも重複するのだが、今回はその25位までの結果から見た、昨年のインド映画界状況を再度まとめておきたい。

『RRR』 ©2021 DVV ENTERTAINMENTS LLP.ALL RIGHTS RESERVED.

 まず、国内興収トップ25本中の、言語別内訳は次の通りである。
 ヒンディー語映画:7本、テルグ語映画:6本、タミル語映画:6本、カンナダ語映画:3本、英語映画(ハリウッド映画):3本。
 数から言えばヒンディー語映画のランクインが一番多かったのだが、上位6位までを見ると、3位に入ったハリウッド映画『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』以外はカンナダ語、テルグ語、タミル語と、南インドの映画ばかり。1位『K.G.F:Chapter 2(コーラール金鉱地域:第2章)』(カンナダ語)、2位『RRR』(テルグ語)、4位『Kantara(神話の森)』(カンナダ語)、5位『Ponniyin Selvan: I (カーヴェーリ河の息子1)』(タミル語)、6位『Vikram(ヴィクラム)』(タミル語)と、インド映画トップ5がすべて南インド映画なのだから、これはやはり「南高北低」だったと言わざるを得ない。

『K.G.F:Chapter 2』

 さらにボリウッド映画界を打ちのめしたのは、トップ2本の桁違いの国内興収だ。1位のカンナダ語映画『K.G.F』は87億2600万ルピー(世界興収は122億8300万ルピー)、2位の『RRR』は78億4200万ルピー(世界興収は113億1100万ルピー)で、3位の『アバター』のインド国内興収36億5000万ルピーの倍以上を稼いでいるのである。これまでの国内興収記録『バーフバリ 王の凱旋』(2017)の111億5600万ルピーには及ばなかったが、『バーフバリ 伝説誕生』(2015)や、世界興収では中国での爆発的ヒットにより現在第1位となっている『ダンガル きっと、つよくなる』(2016)を抜いて、国内興収記録第2位、第3位に躍り出たのだ。ボリウッドの凋落は明らかだろう。
 コラム⑲でも述べたとおり、昨年のボリウッドは3月11日公開の『The Kashmir Files(カシミール事件簿/以下TKF)』で一挙に暗い雰囲気へと落ち込んだ。カシミールで起きた事件を元にしてはいるが、はっきり言えば「イスラーム教徒ヘイト映画」である。イスラーム教徒に対するヘイトの動きは、8月11日公開のアーミル・カーン主演作『Lal Singh Chaddha(ラール・シン・チャッダー)』に対するボイコット運動へと続き、この時はさらに、アーミル、サルマーン、シャー・ルクという「3人のカーン」へのボイコット運動にも発展するかと思われた。シャー・ルク主演作で2023年1月公開予定の『Pathaan(パターン)』と、サルマーン主演作で2023年4月の断食明けイード(イスラーム教の祝日)に公開予定の『Kisi Ka Bhai Kisi Ki Jaan(誰かの兄貴、誰かの恋人)』もボイコットしろ、というスローガンが、実際に叫ばれていたのである。

『ブラフマーストラ』© Star India Private Limited.

2.ボリウッド映画界の救いの神

 こんな暗い雰囲気のボリウッド映画界を救ったのは、9月9日公開の「ファンタジー・アドベンチャー・アクション映画」とインドでは称されている『ブラフマーストラ』だった。日本でも5月12日から公開される予定だが、ランビール・カプールとアーリヤー・バットという、当時実生活でも恋人同士の二人が主演し、39歳と若いアヤーン・ムカルジーが監督した作品である。ヒンドゥー教神話を『ハリー・ポッター』やマーベル映画と合体させたような『ブラフマーストラ』は、インド人観客を興奮させ、興収は『TKF』を抜いて2022年ヒンディー語映画のトップに躍り出た。
 この時の、「救われた」という感覚は今でも忘れられない。それまでの約半年間、ヒンディー語映画の2022年興収リストを見るたびに、『TKF』がトップにあるのを苦々しい思いで眺めた身には、『ブラフマーストラ』はまさに救いの神だった。ただ、僅差での1位だったため、ヒンドゥー至上主義勢力が「『TKF』を再上映せよ」とか言い出さないか、かなり長い間心配したものである。

『ブラフマーストラ』© Star India Private Limited.

 『ブラフマーストラ』は前述のように映画としての面白さのほか、サイドストーリーとして主演の二人が紡いだハッピーエンド物語も、インド人観客の心を捉えたのではないかと思う。主演のランビール・カプールは、「インド映画界のキング」と言われた俳優・監督・製作者ラージ・カプールの孫である。父はラージ・カプールの次男で、1970年代から90年代までトップスターとして君臨したリシ・カプール。母も女優のニートゥー・シン。リシ・カプールは2018年に白血病と診断され、ニューヨークなどで治療を続けたが、2020年4月30日に亡くなった。
 リシがニューヨークで治療中に話題になったのが、ランビールと一緒に見舞いに訪れるアーリヤー・バットの姿だった。『ガリーボーイ』(2019)等で日本でも知られるアーリヤーは、人気監督マヘーシュ・バットと女優ソニー・ラーズダーンの娘で、ボリウッドのトップ女優の一人である。リシが回復すれば即、結婚の予定だったと思われるが、亡くなったあともインドは新型コロナウィルスの感染拡大で混乱し、二人が結婚したのは2022年4月14日だった。『ブラフマーストラ』公開の9月9日の前には、すでにアーリヤーの妊娠が伝えられ、11月6日には女の子誕生のニュースがメディアを賑わした。
 こんな主演俳優カップルの実生活での多幸感も、観客動員に作用したはずだ。こうして『ブラフマーストラ』は年末までヒンディー語映画のトップを維持するのだが、年が明けてからボリウッドの蘇生を実感できる作品が登場した。先に名前を挙げたシャー・ルク・カーン主演作『Pathaan(パターン/以下カタカナで表記)』である。

『ブラフマーストラ』© Star India Private Limited.

3.甦る懐かしいボリウッド映画

 『パターン』の主人公は、「パターン」というコードネームを持つ、インド情報機関RAWのエージェント。パターン人というのは、パキスタンやアフガニスタンに在住する部族民の名称で、パシュトゥーン人とも呼ばれる。パターンと呼ばれる男(シャー・ルク・カーン)は中東やアフリカ諸国で任務をこなし、危ない橋をいくつも渡ってきたが、その彼の今回の任務はRAWの元エージェント、ジム(ジョン・アブラハム)の計画を阻止することだった。ジムは臨月の妻を殺された時のRAWの冷たい対応に怒り、組織を抜けた男。彼の上司だったルトラ大佐(アーシュトーシュ・ラーナー)や、パターンの上司ナンディニー(ディンパル・カパーディヤー)らの指示を受け、ついにジムと対峙したパターンだったが、そこにはパキスタンの情報機関ISIの元エージェント、ルビナ(ディーピカー・パードゥコーン)もいて、ジムの去った後パターンとルビナは手を組むことになる…。
 監督は、『WAR ウォー!!』(2019)を大ヒットさせたシッダールト・アーナンド。「ルトラ大佐」という名前にピン!ときた人もいるかと思うが、『パターン』は『WAR ウォー!!』の続編ではないものの、後日談を臭わせた作品である。リティク・ローシャンが演じた『WAR ウォー!!』の主人公カビールの名前も、会話のはしばしに登場する。リティクがカメオ出演していればさらに面白かったのだが、カメオ出演は別のスパイが担う。サルマーン扮する「タイガー」である。
 実は『パターン』は、「YRF(映画会社ヤシュ・ラージ・フィルムズ)スパイ・ユニバース」の1本と銘打たれており、このシリーズには、これまで2本作られた『タイガー』シリーズ(1作目『タイガー 伝説のスパイ』(2012)が日本公開済み)と『WAR ウォー!!』とが入っている。『パターン』が加わり、11月には『タイガー3』の公開が予定されているので、今年中には5本のスパイ=エージェント映画が揃うはずだ。日本未公開の、妻と幼い息子を持つタイガーを主人公にした『Tiger Zinda Hai(タイガーは生きている)』(2017)はアクション映画としてよくできていたが、『パターン』は正直に言うと、それほど目新しいアクションを見せてくれる作品ではない。

『ラジュー出世する』

 むしろ『パターン』はゆるい笑いに支配されていて、シャー・ルクの1990年代作品を思い出してしまう。『ラジュー出世する』(1992)【常時配信中】や『DDLJ 勇者は花嫁を奪う』(1995)などの、ユーモラスなシャー・ルクが一瞬見えるのである。特に、真ん中ぐらいのサルマーン扮するタイガーが現れるシーンと、最後に二人が語り合うシーンが秀逸で面白い。最後のシーンはボリウッドの将来を憂えている二人のスターとも読み取れ、大笑いしたが、その後になぜか涙が止まらなくなった。1本のヘイト映画が招いたボリウッドの暗雲を、昔懐かしいテイストを持つ『パターン』が吹き飛ばしてくれるとは。
 『パターン』の興収は2月20日現在、世界興収で99億6000万ルピーと100億ルピーに迫り、うち国内興収は62億ルピー強だという。ボリウッド映画の蘇生を敏感に感じた観客たちが詰めかけているのかも知れない。あのラストシーンをインドで見て、インドの観客と一緒に泣きたいものだ。というわけで、これからインドに行ってくる。

【映画『RRR』公式サイト】

【映画『ブラフマーストラ』公式サイト】

【『ラジュー出世する』作品ページ】