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2023.04.29

熱く、エネルギッシュに爆走する南インド映画の魅力②

“修羅の国”ラーヤラシーマが舞台の『アラヴィンダとヴィーラ』は新感覚ファクション映画

安宅直子

『アラヴィンダとヴィーラ』

1.テルグ語映画の中のファクションとは?

 日本で最初に劇場公開されたテルグ語映画『愛と憎しみのデカン高原』(1997)、『RRR』のS.S.ラージャマウリ監督によるコメディー『あなたがいてこそ』(2010)、そして本作アラヴィンダとヴィーラ(2018)【2023年5月1日~6月29日配信】、この3本の作品に共通するものがある。それは物語の舞台がアーンドラ・プラデーシュ州内陸部のラーヤラシーマ地方に設定され、ラーヤラシーマ方言が話され、この地に特有のファクショニストと呼ばれる人々によるファクション抗争を描いているという点である。
 ファクション、ファクショニスト(ファクショナリストとも)とは何だろう。これについてのひと通りの知識なしに本作を見ると、単にシュールで粗い作劇、荒唐無稽のオンパレードと思ってしまう危険がある。実際には本作は、ある程度まで現実に根差しており、その現実への問題提起も含んでいる。

『アラヴィンダとヴィーラ』

2.ラーヤラシーマの特異な風土

 ラーヤラシーマとは、テルグ語を公用語とする2州、テランガーナ州とアーンドラ・プラデーシュ州のうち、後者の南部内陸部4県を示す地理概念だ。2014年まではひとつのアーンドラ・プラデーシュ州だったテルグ語圏は、現在独立した州となっているテランガーナ地方、南北に延びる沿海アーンドラ地方、そしてラーヤラシーマと、文化的には3つに分かれる。3地方のうちもっとも豊かなのは、肥沃なデルタ地帯を擁するアーンドラ地方。一方テランガーナ地方は、州都ハイダラーバードに富が一極集中しており、周辺が取り残されている。そしてデカン高原南端部のラーヤラシーマ地方は、乾燥地帯で巨石がゴロゴロする景観が特徴的で、全体的に立ち遅れた地域と見なされている。
 ラーヤラシーマ地方は、基本的に農耕社会で、「豪族」とでも呼びたくなるような中間カースト上位の大地主・農業資本家が、一族郎党と多数の使用人・小作人を抱えて村落を支配する傾向が残っている。このひとかたまりの集団をファクション、そのトップに立つ家父長をファクショニストと呼ぶ。村落単位の非公式な首長ほどの権力を持つファクショニストは、封建時代の小領主の名残であるとも説明され、その影響が及ぶエリアの中では王にも等しい権力を持つ。彼らにとって、近代国家・その司法制度・警察機構などは、すべて後からやって来たもので、彼らの行動を何ら制限するものではない。

『アラヴィンダとヴィーラ』

 近隣のファクションと対立がある場合には、司法や警察に訴えることはせずに、配下の男たちを鎌・短刀・粗製爆弾で武装させて直接行動に出る。万が一、こうした鉄砲玉が命を落とすことがあれば、残された妻子はファクショニストが手厚く保護し、子供は次世代の鉄砲玉に仕立て上げられる。尚武の気風と言えば聞こえがいいが、攻撃されてやり返さないのは恥とされるため、抗争は世代を継いで行われる。警察の統計によれば、1980年代初めから2010年代の中盤までの間に、8000を超える人命がファクション抗争で失われたという。
 ファクショニストたちは、近代国家のシステムを下に見てはいるものの、統治者としての身分を固めるために、地方政治にも参入し、州会議員などに選出されることも多い。政治的イデオロギーは彼らの関心外なので、状況に応じて政党を渡り歩くことも多々起こる。ファクショニストが在職中に死亡すれば、当然のように子弟が議席を継ぐ。ファクショニストの政治への進出というよりは政治のファクション化と言ってもいいかもしれない。実際にアーンドラ・プラデーシュ州の大物政治家の中には、ファクショニストの大親分をルーツに持つ者が少なくないのだ。

『アラヴィンダとヴィーラ』

3.ファクション映画の世界

 このようなラーヤラシーマ地方の特異な風土はテルグ語映画人の関心を惹き、1990年代後半から2000年代の終わりぐらいまで、「ラーヤラシーマ・ファクション映画」というアクション映画のサブジャンルが人気となった。上記『愛と憎しみのデカン高原』は最も早いヒット作のひとつ、『あなたがいてこそ』は最も成功したパロディーである。正統派のファクション映画は、対立しあうファクションの片方を正義のヒーローの側に、もう片方を悪役側に設定して、何度も流血シーンを交えながら、良き統治者のヒーローが父権的な力を発揮して勧善懲悪をなすというもの。テルグ語映画のスター男優のほとんどが少なくとも一度はラーヤラシーマもので演じているが、NTR Jr.の叔父のナンダムーリ・バーラクリシュナはこのサブジャンルをとりわけ好み、いくつものヒット作を生み出している。血まみれの鎌を振り上げての雄叫び、威圧的な4WDのコンボイから悠然と降り立ち指でしごく口ひげ、片足を持ち上げ内腿を掌でパーンと叩いて見栄を切る所作などの様式美は、ふさわしいカリスマを持った俳優が行えば確かに魅力的なのだ。

『アラヴィンダとヴィーラ』

4.型破りのファクション映画

 『アラヴィンダとヴィーラ』は、ファクショニストの家の若旦那にあたる主人公ヴィーラ・ラーガヴァが、外国から帰還して故郷に足を踏み入れた途端に、敵対ファクションからの凄絶な攻撃を受けて肉親を失うというエピソードから始まる。ここからお約束の血で血を洗う復讐劇が始まるかと思うとそうはならず、格闘シーンやソング・コメディーを挟みつつも苦渋に満ちた対話劇が展開するのだ。突然襲いかかった不条理な暴力・親族の死へのやりきれない思いと敵への怒りに煩悶しながらも、彼は祖母や恋人など女性たちの話に真摯に耳を傾け、指針を得る。これは「ダンスと喧嘩が華」であるテルグ語の大衆映画、特にNTR Jr.のようなトップヒーローが主演する作品としては空前のことだった。そして彼は、相手を絶命させるまでには至らない自衛的暴力や脅しも含めた交渉などによって、敵対ファクションとの間での30年を超える血の抗争を何とか終息させようとするのだ。凡庸な俳優が演じたならば退屈極まりないものになっただろうこの過程を、NTR Jr.の類いまれな演技力が目を離せないものにしている。
 しかし最後に立ちはだかるのが、ジャガパティ・バーブが演じる敵対ファクションの当主、バシ・レッディである。冒頭の衝突で、常人ならば致命的となる頸部の傷を負わされながら執念で生き延び、激高するたびにその傷口から血を噴出させる鬼気迫る姿は、もはや人間ではなく、絶対悪の化身、あるいは結晶化したファクショニズムそのものにも見える。対話の限りを尽くしても和解を拒むこのキャラクターを前に、ヴィーラ・ラーガヴァが最後にとった行動は、トリヴィクラム・シュリーニヴァース監督による「もうファクション映画は終わりにしてはどうか」「バイオレンスを通して有害な男性性を礼賛するのは考え直さないか」というメッセージであるようにも思える。ヒロインの名前をタイトルに含むという点も画期的な『アラヴィンダとヴィーラ』は、#MeTooの時代の新感覚&プログレッシブ・ファクション映画なのである。

『アラヴィンダとヴィーラ』
『アラヴィンダとヴィーラ』

【『アラヴィンダとヴィーラ』作品ページ】

【『あなたがいてこそ』作品ページ】

【映画『RRR』公式サイト】