1950年代から60年代前半にかけて、世界中の映画界がテレビの登場に脅威を感じていた。映画界はその対抗手段としてカラー作品を増やし、シネマスコープをはじめとする画面のワイド化を進めた。香港映画にとっても作品のカラー&ワイド化は急務だった。
その救世主となったのが、日本人映画カメラマン、西本正だった。
1960年、西本は1957年に続き、ショウ・ブラザースの要請を受け再び香港へ渡った。当初は1年の契約で、彼自身は3ヶ月程度で仕事を済ませ日本に帰れると思っていたという。ところが、それは数十年に及ぶ、香港での新たなる映画人生のスタートとなった。
彼がこのとき香港に呼ばれた第一の理由は、リー・ハンシャン監督による国を傾けた中国四大美女を描く超大作シリーズ“傾國傾城”の第1弾『楊貴妃』(完成、公開は1962年)【7月27日まで配信中】の撮影ということだった。だが、香港では複数の作品の撮影を同時進行で任されることになった。
その中の1本が、“傾國傾城”シリーズの第2弾で、『楊貴妃』と同じ監督、主演による香港初のカラー&シネマスコープ作品『武則天』(完成、公開は1963年)【7月27日~8月25日配信】だった。このシリーズはショウ・ブラザースが国際市場に打って出ようと企画した大作で、セットや美術に予算をふんだんに使い、無尽蔵にフィルムを回したため、完成までに時間がかかった(『楊貴妃』が2年、『武則天』は3年)。
その間に、規模の小さい作品の製作が数多く進められており、西本はその内の『燕子盗』(1961)と『手槍』(1961)を担当したが、どちらも『楊貴妃』より先に完成、公開された。
何本もの違う撮影方式の作品を掛け持ちでこなす圧倒的な手際と技術力、そして何より現像されたラッシュ・フィルムの優れた仕上がりに香港の映画人たちは驚嘆した。西本は撮影所の多くの撮影、照明関係者に、従来のモノクロ・スタンダードとはまったく違うカラーやシネマスコープ撮影の照明技術やカメラワークを快く伝授し、ショウ・ブラザースは<全作品カラー&シネマスコープ>を売りに、アジアの映画市場を制覇していくことになる。
西本が香港で忙しく奮闘していた頃、日本では西本が所属していた新東宝が倒産の危機に陥っていた。そこで、西本はショウ・ブラザースからの契約延長の提案を受け、結果的に香港で47本もの映画を撮り、さらに1996年まで40年近く香港で暮らすことになる。
皮肉にも、新東宝の倒産という日本映画の斜陽を象徴する出来事は、結果的に西本正という人材を香港に留め、香港映画界の飛躍的な発展の遠因ともなっていたのである。
『武則天』の香港公開は1963年の6月13日。日本では則天武后として知られる中国史上唯一の女帝の一代記という物語の面白さも、見せ場の数々も、『楊貴妃』以上のものとなった。
一番の見所は、『楊貴妃』でもタイトルロールを演じた、当時の香港映画界でまさに女帝的存在だったリー・リーホアが、強烈な眼力と貫禄十分の存在感。敵対する女たちを罠にはめて次々に排除し、使えない男たちを手練手管で操って、遂に皇帝にまで上り詰めるその姿は豪快かつ痛快だ。日本では『西太后』(1984)で有名なリー・ハンシャン監督の演出は、捻りがまったくない分、単刀直入でわかりやすい。もちろん、西本正の手によるシネスコ撮影は、カラフルなセットを鮮やかに捉え、迫力の外景も豪華な巨大セットも横長画面の細部まで目が行き届いていて見事。どのカットを切り取っても宣材写真に出来るほど、構図が決まっていて見ていて気持ちがいい。
香港映画ファンには嬉しいキャスティングのお楽しみもある。太宗の側近として忠臣ぶりを示しながら、後に謀反を起こして失敗する裴炎を演じるのは、『ドラゴン怒りの鉄拳』(1972) 【8月18日まで配信】の監督ロー・ウェイ。弓矢で占い師を殺害するも、武則天の温情で死刑を免れ出家する趙道生を爽やかに演じているのは『大酔侠』【8月12日まで配信】などの大巨匠キン・フー。実は2人とも俳優出身で、どちらも台詞もしっかりある重要な役どころだ。ロー・ウェイは『~怒りの鉄拳』の警察署長役はじめ自作にもよく顔を出すので、さほど珍しくないが、キン・フーの本格的な演技を見る機会は日本ではこれまでほとんどなく、貴重である。
また、武則天に対して法律顧問として自説を曲げず、一度は処罰を受けるも、色仕掛けに屈して宰相になる狄仁傑(演じるのは『亡命記』(1955)などの香港ロケの日本映画にも出演したことのあるチャン・ユーシン)は、ロバート・ファン・ヒューリックの探偵小説「判事ディー」シリーズやその映画化『王朝の陰謀』シリーズの主人公のモデルである。武則天をカリーナ・ラウ、狄仁傑をアンディ・ラウが演じる映画版第1作『王朝の陰謀 判事ディーと人体発火怪奇事件』(2010)がJAIHOで近日配信予定となっている。
『武則天』はこの映画の前にも何度か映画化されているが、この作品が中国語圏における映画化の決定版であるのはいうまでもなく、リウ・シャオチンが演じた「則天武后」(1995)からファン・ビンビンが演じた「武則天-THE EMPRESS」(2015)まで、時代ごとにトップ女優たちが武則天を演じてきた中国のテレビ・シリーズの原点もここにある。
因みに、文化大革命(1966-1976)を主導した四人組の1人で、毛沢東の第4夫人だった元女優の江青は、自らを武則天の再来と位置づけて国家主席の座を狙い、文化大革命中に武則天を賛美する運動を展開した。彼女もおそらく、この作品を見たに違いない。
香港時代に西本が撮った数多くの映画の中でも、リー・ハンシャンやキン・フーなど、香港の巨匠たちの仕事と共に重要なのが、井上梅次、中平康、古川卓巳、村山三郎といった日本から招かれた日本人監督による作品たちだ。
特に井上梅次の香港映画第1作『香港ノクターン』(1967) 【8月10日~9月8日配信】は、絶対に見逃せない1本だ。
これは井上が松竹で撮った『踊りたい夜』(1963)の舞台を香港に置き換えた完全リメイク。
早い話が、ショウビズ界に生きる家族を主人公にした日本版『ショウほど素敵な商売はない』の香港版。日本版では水谷八重子、倍賞千恵子、鰐淵晴子が演じた3姉妹を、香港版ではリリー・ホー、チェン・ペイペイ、チン・ピンが演じる。物語の中心は、日本版では倍賞が演じた次女だが、それを『大酔侠』のペイペイが演じ、“武侠影后”として鳴らした抜群の運動神経を活かして見事なダンスを披露する。
井上は、ドラマや見せ場を日本版から格段にスケールアップさせ、音楽担当に日本でもすでに大御所だった服部良一を器用(日本版は広瀬健次郎)、助監督、美術監督、記録に振付担当まですべて日本から連れて来て、やりたいことをすべてやり尽くし、日本版では98分だった内容が、128分の超大作となった。
『香港ノクターン』は、ミュージカルといえば“黄梅調”と呼ばれる中国オペラ的時代劇が主流だった香港映画界に斬新な風を吹き込んで大ヒット、井上はショウ・ブラザースで様々なジャンルの娯楽映画17本を監督することになるが、現代ミュージカルは彼のトレードマーク的人気ジャンルとなった。
西本は、部分的な担当やノンクレジットも含め、そのうちの8本で撮影を担当するが、井上との関係は決して良好ではなかったという。後半は「口をきかなくてもいい」という条件で、撮影を担当したらしい。それでも井上が西本を起用したがったのはやはり、彼が撮る映像の素晴らしさ故だろう。豪華なミュージカル・シーンをふんだんに盛込んだ『香港ノクターン』は、数々の時代劇における映像の素晴らしさとはまた違う、現代的な色彩と構図で西本のさらに進化した仕事ぶりが堪能できる際目付けの1本でもある。
西本がもし日本で仕事を続けていても、60年代後半にかけて一気に衰退していく日本の映画界では、『武則天』や『香港ノクターン』のような贅沢な超大作を撮る機会はほとんどなかっただろう。香港映画界が黄金時代を迎える波にも乗って、西本にとってもショウ・ブラザースでの仕事は、彼の映画カメラマンとしての才能をさらに磨き、新しい挑戦に挑める格好の機会だったハズだ。
まさに彼にとって、“ショウ・ブラザースほど素敵な現場はなかった”のである。
参考文献: 「香港への道 中川信夫からブルース・リーへ」(西本正/山田宏一・山根貞男、筑摩書房)