1.骨の髄までのテルグ語映画
『ヤマドンガ』【2023年3月17日~5月15日配信】は2007年のテルグ語作品で、S.S.ラージャマウリの監督作としては6本目になる。メガヒット『Vikramarkudu』(2006、未)以降のラージャマウリのフィルモグラフィー中、他言語でリメイクされることが一切なかった点で特異な1本である※1。監督としての評価の高まりとともに「汎インド映画」という大きなカンバスを志向するようになったラージャマウリだが、本作は言語の境界を超えることがなかった。その理由は実見すれば分かる。人気コメディアン6人によるローカル味溢れるギャグ、主演のNTR Jr.の実人生をネタにしたハイコンテクストな楽屋落ち、ご当地神様が鍵を握るストーリー展開など、テルグ語を母語とする観客に向けた大サービス映画なのである。にもかかわらず日本人観客をも虜にするのは、ラージャマウリのトレードマークともいうべき、エモーションの盛り上げ、ヴィジュアルの大盤振る舞い、ツイストの効いた語りなどが見事だからだろう。
2.生まれ変わったNTR Jr.
主演のNTR Jr.にとっても本作は画期となる一本だった。2007年4月末に行われたとある映画関係式典の写真をニュースサイト上で目にした時の衝撃を、筆者は今でも覚えている。式典にゲストとして現れた、ひょろりと細身ながらもねっとりとしたオーラを放つ若者は、数ヶ月間公の場に姿を現していなかったNTR Jr.の、マイナス25キロとも言われる減量を経た姿だったのだ。減量の方法は伝統医学アーユルヴェーダによるとされたが、過激な外科的手法を採ったのではないかとの噂も絶えなかった。減量の理由は後から分かった。ラージャマウリがNTR Jr.にずばり「君は(太りすぎて)不細工だよ」と指摘し、一念発起を促したというのだ※2。本作の現地での公開当時は、この「スリムになったがキレは全く衰えていないNTR Jr.」が大盛りアトラクションの中でも飛び抜けたものだった。
3.「ソシオ・ファンタジー」の世界
ストーリーの前半だけを簡単に紹介しよう。ケチな泥棒のラジャは、高額の報酬が約束された盗み仕事をこなしたが、最後の段階でクライアントが急死して対価受領を逃す。ヤケ酒をくらいながら閻魔大王を口汚く罵っていたのが当人の耳に入ってしまい、天罰覿面でほどなくゴロつきに殺され冥界行きとなる。しかし冥界で裁きを待つ身となっても反省の色なく、閻魔大王に挑んで冥界の支配者の座を奪い取ろうとする。
この部分は、NTR Jr.がその名を貰った偉大な祖父NTR(シニア)が主演した『Yamagola』(1977、未)※3から大枠を拝借している。こちらは、恋人の父との確執から殺された若者が冥界に行き、そこで閻魔大王の独裁体制に対して叛旗を翻し、民主的な選挙制度を確立すると言って掻き回すというもの。当時のインド共和国首相インディラー・ガーンディー(映画公開時には下野中)への当てこすりが込められたとの解釈もある。“本歌取り”的手法はそれだけではない。『マガディーラ 勇者転生』(2009)【常時配信中】の冒頭で主演のラーム・チャランの父であるチランジーヴィの過去作の「金のメンドリがやってきた」ソングがカバーされたのと同じく、『ヤマドンガ』では「体が火照ってるのか?」(Olammi Tikkaregindaa)ソングが『Yamagola』から丸ごと再利用されている。そして、これなど序の口とばかりに、さらに臆面もない身内褒めが炸裂するが、ここではあえて書かない。
NTR(シニア)は、1950年代末からテルグ語映画界のスターダムの頂点に登り、あらゆるジャンルの作品に出演したが、特に神話映画でのクリシュナ神は当たり役で、生涯に17回も演じた。しかし1970年代に入ると神話作品の出演はめっきり減ってきていた。「もはや神話映画の時代ではない」という冷静な見極めがあったからだ。そこで浮上したのが、インド映画用語で「ソシオ・ファンタジー」と呼ばれるジャンル。ソシオ・ファンタジーとは、同時代を舞台としながらそこに神話そのままの神格が登場し、地上に降りて人間と交流する筋書きの作品。映画史研究者によれば、その多くが閻魔大王などの下級神を登場させ、物語の最後で「人間性(ヒューマニティー)が神性に打ち勝つ」構造を持つという。テルグ語映画としては『Yamagola』が最初期のヒット作で、同じ頃から他の言語圏でも現れるようになる。チランジーヴィやラジニカーントにもこうした趣向のコメディーがあるし、近年ではヒンディー語作品『オーマイゴッド 神への訴状』(2012)もこの系譜に連なる。『ヤマドンガ』は、ソシオ・ファンタジーの器の中に、黄金期の神話映画の絢爛、今日的アクションのダイナミズム、当代一の踊り手であるNTR Jr.のダンス、ローラーコースター・ツイスト、純愛、時代がかった滔々たる長口舌とスピーディーなコメディー、これら全てを溢れんばかりに注ぎ込んでキンピカのメッキでコーティングした傑作だ。
4.最高神としての人獅子ナラシンハ
最後にひとつトリヴィアを。上で「閻魔大王などの下級神」と書いたが、本作には全能で不可侵の絶対神的な存在も登場する。冒頭とクライマックスで言及されるナラシンハ神である。現代のヒンドゥー教では、大まかにはシヴァ神とヴィシュヌ神が最高神扱いで、それぞれシヴァ派・ヴィシュヌ派の信徒たちにより崇拝されている。ナラシンハはヴィシュヌの4番目の化身である獅子頭の神。『バーガヴァタ・プラーナ』という聖典に記述のあるこの人獅子は、ヒラニヤカシプという魔王が超能力を得て暴れ回るのを誅するために生じた化身で、神の怒りを体現し、憤怒の相をとることが多い。『バーガヴァタ・プラーナ』は広くヒンドゥー教徒一般の間で奉じられている聖典だが、ナラシンハ信仰はテルグ人の間で最も盛んで、ナラシンハを祀る大寺院の多くがテルグ語圏にある。そのことから、この神がヒンドゥー教以前からのテルグ地方土着の民族神だったとする説もある。ナラシンハ神への讃歌が高らかに響く本作は、骨の髄までテルグ語映画なのである。
※1『Vikramarkudu』からは4言語6バージョンのリメイクが生まれ、中でもヒンディー語版の『Rowdy Rathore』(2012、未)は大ヒットを記録した。『マガディーラ 勇者転生』(2009)からはベンガル語リメイクが作られた。『あなたがいてこそ』(2010)からは5言語のリメイクが生まれた。『マッキー』(2012)以降は、ラージャマウリのオリジナル版が多言語展開をすることによってリメイクの代わりとなった。
※2『ヤマドンガ』以前のNTR Jr.は、南インドの基準からしても明らかな軽肥満体で、いくつかの作品中ではヒロインから「太っちょ」と呼ばれるシーンもあった。しかし当人はそれを歯牙にもかけずにスターとして振るまい、ファンや映画愛好家も全く問題にしていなかった。彼が多く演じた不敵・傲岸・きかん気のパワフルなキャラクターはその外見あってこそのものだったのだ。むしろ減量によってその圧倒的なダンスの迫力が減じるのではないかとの危惧の声も、『ヤマドンガ』公開前には上がっていた。
※3「Yamagola」は「冥界大混乱」という意味。「Yamadonga」の訳は「冥界大泥棒」というあたりか。