• HOME
  • COLUMN
  • 世界をリードする才能の宝庫 アジア映画の現在⑦

2022.04.26

世界をリードする才能の宝庫 アジア映画の現在⑦

『ヘマヘマ:待っている時に歌を』と『ブータン 山の教室』の親密な関係

暉峻創三

『ヘマヘマ:待っている時に歌を』

 日本では『ドライブ・マイ・カー』の最優秀国際長編映画賞受賞が国民的ニュースとなった、第94回アカデミー賞。けれど広くアジア・スケールで今回のアカデミー賞を見るならば、もう一つ、けっして無視するわけにはいかない”事件”があった。同じ国際長編映画賞部門で最終ノミネートを果たした5作品の一つに、ブータン映画『ブータン 山の教室』(2019)が含まれていたことだ。

 日本映画が国際長編映画賞に輝いたのは、『おくりびと』(2008)に続き2度目。また最終ノミネート入り自体は、幾度となく果たしてきた。それに対してブータン映画が国際長編映画部門に最終ノミネートされたのは、今回が史上初。世界視野で歴史的な観点から見るならば、『ドライブ・マイ・カー』の受賞に負けず劣らず画期的な意義を持つノミネートだったと言えるだろう。

 同時に、今回の国際長編映画賞部門は、そのノミネーション・リストにいさかか奇妙な光景が出現していたことも付記しておいた方がいいかもしれない。基本的には2021年の作品が並ぶなか、『ブータン 山の教室』だけは2019年作品にもかかわらずノミネートされていたからだ。これには、裏事情がある。そもそも本作は、その前年、即ち第93回アカデミー賞のために、ブータン代表作として申請されていた。しかしアカデミー賞側は、それを受理しなかったのだ。

 このようなことは、映画製作産業が弱小な国の場合、まれに起こることがある。国際長編映画賞部門に毎年のように候補作を送り込んでくる国々とは異なり、年間製作本数が極めて少なくめったにアカデミー候補作が応募された試しのない国からの申請の場合、地元での候補作選出の正当性をアカデミー賞側が評価できず、認定しないケースがあるためだ。昨年8月、タリバンによって突如支配されたカブールから着の身着のまま脱出し、ウクライナの支援で同国に身を寄せたことが世界に広く報じられたサハラ・カリミ監督も、同じく2019年に製作された『明日になれば アフガニスタン、女たちの決断』(アフガニスタン=イラン=フランス合作。5月6日劇場公開予定)がアフガニスタン映画代表としてアカデミーに申請されていたにもかかわらず、結局、同様の理由で受理はされなかった。

 『ブータン 山の教室』の場合は、2度目の正直の申請にして、ようやくその選出正当性が認められた形。そればかりか今回は、最終ノミネート入りして『ドライブ・マイ・カー』などの名だたる世界的名作と賞を争うことにまでなったのだから、その一発逆転劇はもっと広く報じられてもおかしくなかった。

『ヘマヘマ:待っている時に歌を』

 同作を監督したのは、これがデビュー作となるパオ・チョニン・ドルジ。そして彼が宗教的にも映画的にも師と仰ぐ人物が、仏教界の高僧にして映画作家でもある、ケンツェ・ノルブだ。ほかでもない『ヘマヘマ:待っている時に歌を』【2022年3月20日~5月18日配信】の監督。同作でパオは、プロデューサーを務めた。

 もっとも、そこでの彼の役回りは、一般的なプロデューサーのそれを大きく超えていた。というのも、ケンツェ・ノルブはあくまでも高僧であることの方を基本とする生き方をしている。一般的な監督のように、自作と共に世界の映画祭を回って観客の前に姿を現したり、プロモーション活動をしたりはしない。『ヘマヘマ:待っている時に歌を』がジャパンプレミア上映されたのは2017年の大阪アジアン映画祭でのことだったが、その時も来日して観客の質問に答えたのはパオ・チョニン・ドルジの方だった。彼は作品をプロデュースするだけでなく、監督に代わって、映画に込めた思いを観客に伝える役目も担っていたのだ。

『ヘマヘマ:待っている時に歌を』

 そんな彼が監督デビュー作として撮った作品が、どこか『ヘマヘマ:待っている時に歌を』を思い出させる構造を持っていることも、だから不思議ではない気がする。どちらの作品とも、映画はまず、主人公青年の属する現代的で時に退廃的でさえある俗世間を描写するところから始まる。その後、舞台は都市を思いきり離れ、そこで主人公が現世からは隔絶されたかのような体験をしていく日々を綴っていく。そしてエピローグとして、その体験から一定の時間を経た時代が、再び都会を舞台に描写される、という構造だ。

 ただ、『ブータン 山の教室』では、都会生活を忘れ去ることのできない主人公青年のアイデンティティは、彼が山に赴任している時も含め、一貫して保持されていた。それに対して『ヘマヘマ:待っている時に歌を』では、アイデンティティや性別の無化がテーマに据えられているところが、より斬新で挑戦的だ。

 その無化を実現する重要な小道具となっているのが仮面だが、その着用は映画作家にとっては、顔の違いや表情を見せることによるドラマ演出という、映画の基本的な技法に依拠するわけにはいかないことを意味する。また、散発的な台詞はそこそこあるものの、複数人物が会話を幾重にも積み重ねてドラマを形成していくような技法も、ほとんど使われていない。それでも監督のケンツェ・ノルブは、身体の豊穣な仕草や、仮面に加えて弓矢や笛など限られた小道具の有効な活用、そして圧倒的な音響設計の力で、最後まで一気呵成に物語を見せきった。

『ヘマヘマ:待っている時に歌を』

 『ヘマヘマ:待っている時に歌を』にはもう一点、『ブータン 山の教室』と共通する部分がある。クレジット・タイトルを見ると、台湾映画人が相当数関わっているのが認められる点だ。『ヘマヘマ:待っている時に歌を』では、前述の通り音響、特に鳥や虫の鳴き声などを主体としたバックグラウンドの音響デザイン(そしてその、都会の音響との対比性)が作品の説得力、ドラマ性の造出に大きな役割を果たしていた。この音響を設計・制作したのは、エドワード・ヤン、侯孝賢ら台湾ニューウェイブの数多くの作品を手掛けてきた事で知られる台湾の音響デザイン会社、3Hサウンド・スタジオだ。またスペシャル・サンクスには『暗恋桃花源』(1992)のスタン・ライ監督や丁乃竺ら、台湾の著名劇団・表演工作坊の主要メンバーの名もクレジットされている。

『ヘマヘマ:待っている時に歌を』

 ケンツェ・ノルブの台湾映画人とのコラボレーションは、最新作『牙と髭のある女神をさがす』(2019)において、さらなる高みへと達する。侯孝賢映画のカメラマンとして国際的に知られてきた李屏賓(『恋恋風塵』、『花様年華』、『空気人形』、『ノルウェイの森』、『黒衣の刺客』【2022年4月5日~5月4日配信】)が、撮影監督に迎えられたからだ。伝統的な起承転結ドラマやリアリズムで見せていくのではないケンツェ・ノルブ作品においては、撮影の重要度もまた格段に高い。李屏賓の加入によって、彼の映画が映し出す世界は、より一層の深淵さやこの世のものとは思えない神秘感を帯びるようになる。一方で監督が語る物語も、その映像の力を借りて、一層の自在さや大胆さを獲得していった。

 『牙と髭のある女神をさがす』は、李屏賓にとっても、これまでのところその撮影美学の最も完璧で神々しい達成となったことは間違いない。同作のJAIHOへの登場も期待したいところだ。

『ヘマヘマ:待っている時に歌を』

【『ヘマヘマ:待っている時に歌を』作品ページ】

『ヘマヘマ:待っている時に歌を』予告編