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2021.09.01

世界をリードする才能の宝庫 アジア映画の現在③

韓国映画の質的向上を支える KAFA(韓国映画アカデミー)から生まれた新たなる傑作『アワ・ボディ』

暉峻創三

『アワ・ボディ』
© 2018 KOREAN FILM COUNCIL. ALL RIGHTS RESERVED

 近年、秀作が次々と生み出され、世界の注目の的となっている、韓国のインディーズ系作品。その一般的な発見、流通の道筋は、まず釜山、全州など韓国内の国際映画祭でワールドプレミア上映され、そこでの評判が海外に伝わって、やがて他国での映画祭上映や商業公開が実現する、というものだ。釜山国際映画祭で世界初上映され、後に日本でも映画祭上映を経てロードショー公開されるに至ったキム・ボラ監督の『はちどり』、キム・チョヒ監督の『チャンシルさんには福が多いね』等は、その典型に属する。JAIHOでプレミア配信されたチョン・ゴウン監督の『小公女』も、まず2017年の釜山国際映画祭でワールドプレミア上映され、CGVアートハウス・アワードを受賞。続いてソウル独立映画祭でも観客賞に輝き、世界へと羽ばたいていった。
 だが、海外への展開のこうした常道を打ち破り、未知の監督によるインディーズ映画でありながら、いきなり世界の国際映画祭の最高峰の一つに数えられるトロント国際映画祭でワールドプレミア上映された作品がある。破格の世界デビューを遂げたその作品こそ、ハン・ガラム監督の『アワ・ボディ』【8月28日~9月26日配信】だ。

『アワ・ボディ』
© 2018 KOREAN FILM COUNCIL. ALL RIGHTS RESERVED

 トロントと言えば、『ラ・ラ・ランド』【近日配信予定】や『ノマドランド』のような話題作からインディペンデントの小規模作品まで、世界中の無数の作品が入選を目指して応募してくる超難関の映画祭。そんななかで、事前の作品の評判も、監督のキャリアや知名度も皆無だった『アワ・ボディ』が入選を果たした事実は、如何に映画そのものがトロント映画祭関係者の心を激しく揺さぶったかを語ってあまりある。
 トロントという栄えある場でワールドプレミアを成し遂げたのが破格の出来事と言える理由は、もう一つある。それは、これが新人監督の作品であることに加え、製作経緯上は学生の長編製作実習映画として生み出されたものだからだ。けれど完成した作品には、まったく習作っぽい拙さなどうかがえない。そのことも、トロント国際映画祭を驚かせた理由の一つだろう。
 本作を生みだしたのは、KAFAの略称でも知られる韓国映画アカデミー。韓国政府の映画振興を担うKOFIC(映画振興委員会)の傘下にある映画学校だ。大学や大学院には位置づけられておらず(なので、厳密に言えば「学生映画」と呼ぶのは語弊があるかもしれない)、少数精鋭で実践的な映画教育を行うことに特徴がある。1984年の創立で、これまでに『八月のクリスマス』【8月25日~9月23日配信】のホ・ジノ、『パラサイト 半地下の家族』のポン・ジュノ、『蜜の味 テイスト・オブ・マネー』のイム・サンス、『暗殺』のチェ・ドンフンら、錚々たる才能を輩出してきた。また、教育の一環として海外映画人との合作経験を積ませることにも積極的に取り組んでいる。濱口竜介の初期作『THE DEPTHS』は、そんなKAFAと東京藝術大学大学院の共同製作で作られたもの。その時の韓国人役者との共同作業の経験が『ドライブ・マイ・カー』への韓国や台湾の役者の起用にある程度の自信を与えたのだとすれば、濱口監督もその才能の一端はKAFAの間接的な教育によって形成されたのだと言えなくもない。

『アワ・ボディ』
© 2018 KOREAN FILM COUNCIL. ALL RIGHTS RESERVED

 ただ、映画学校の実習として製作された『アワ・ボディ』には、一つだけ、当初から一般的な学生映画の枠組みを超越しているように見えた点もあった。『金子文子と朴烈』で各種演技賞を総なめにし、最近は石井裕也監督作『アジアの天使』でもヒロインを演じたチェ・ヒソが、主役を演じている点だ。大阪アジアン映画祭で『アワ・ボディ』がジャパンプレミア上映された際の壇上で彼女が語ったところによると、一時的に仕事のなかった時期に自ら韓国映画アカデミーに営業に出向き、ハン・ガラムのPCの脇に自身のプロフィールを置いていったのが、出演のきっかけだったとか。営業が功を奏し、やがて監督から連絡が来て、本作への主演が決定した。既に商業映画やテレビドラマの世界で活躍する俳優が、映画学校の作品、それも長編監督未経験の生徒が作る映画に出演を望むこと。これもKAFAの映画教育と、同校が製作する作品のクオリティ、さらには商業公開価値への信頼が、広く業界に共有されているからに他ならない。
 実のところ、今年(2021年)日本で劇場公開された作品にも、KAFAの長編実習作がある。チェ・ユンテ監督の『野球少女』が、それだ。2019年の釜山で、ワールドプレミア上映された作品。同映画祭では無冠に終わったが、主演のイ・ジュヨンが、イ・オクソプ監督の『なまず』や、Netflixが世界配信した『梨泰院クラス』で日本でも注目されるようになったことで、劇場公開への道が開けた。また、KAFAが長編実習プロジェクトを始めた最初期の作品ゆえ近年のそれとはややコンセプトを異にするが、『スキャンダル』のイ・ジェヨンが監督し、『ミナリ』のユン・ヨジョンが主演した『バッカス・レディ』も、同校によって製作されたものだ。
 長編実習作の製作費は、3億ウォン(3000万円強)が標準だという。商業映画としてはけっして潤沢な予算ではない。ただ、新人監督が鋭利な作家性を表出することが必ずしも容易ではない今日の韓国商業映画界の状況を考えると、KAFAのもとで長編デビュー作が撮れるのは、この上なく恵まれたことに違いない。

『アワ・ボディ』
© 2018 KOREAN FILM COUNCIL. ALL RIGHTS RESERVED

 実際、ハン・ガラムも『アワ・ボディ』で、その尖った才能を、素直に、臆することなく発揮してみせた。何の状況説明ショットも介することなく、公務員試験の勉強で机に向かう主人公チャヨンをとらえた冒頭のシーンから、彼女の確信に満ちた映画語法が観客を打ちのめす。可能な限り身体(ボディ)そのものの力で、あるいは身体の運動そのもので、映画を語り進めていくこと。それが本作の語法の第一原理だ。しばしば身体に思いっきり近接したカメラがとらえる肌の具合もまた、ただならぬドラマ性を帯びて見える。
 勉強に行き詰った風な主人公の姿から、彼氏との情事、そして街なかの階段でのランニング中の女との運命的な出会いまで、ジャンプショットと大胆な省略法を多用しながら、次々と新たな事態を突きつけるように提示していくさまが素晴らしい。
 ランニングする女とは、一言も言葉を交わすことなく、劇的に運命的な関係を結んだことにも注目したい。映画総体として見ると、けっして会話が極度に少ないわけではない。けれど、台詞で何かをわかりやすく説明してから次の段階へと物語を進めていくようなことを、ハン・ガラムは好まない。言語による明確な定義抜きに、その時々の生々しい曖昧さや中途半端さ、あるいは突飛さをまるごと引き受けたまま、人間を動的に描き出そうとする。自身をランニングへと誘うことで人生を少しは変えてくれた女との関係も、どういう言葉で定義すればよいものなのか、監督は解釈を観客に任せている。たしかな拠り所もなく、どこに人生が向かうのかも見えない女のもがくような31歳という時代の不安定を、それでも運動する身体だけが感じることのできる微かな喜びやときめきの確かさと共に魅惑的に描き出したのが、『アワ・ボディ』だ。

『アワ・ボディ』
© 2018 KOREAN FILM COUNCIL. ALL RIGHTS RESERVED