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2021.07.30

映画とカルチャーを繋ぐ TAP the CINEMA②

ジョン・ヒューズの学園映画〜80年代のスピリットを刻んだ永遠のマスターピース

中野充浩

『フェリスはある朝突然に』© 1986 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.

 ヒューズの学園映画がティーンに支持された理由

 初めて「ジョン・ヒューズの学園映画」の存在を知ったのは、今から35年前の1986年7月のこと。当時僕は17才の高校生で、夏休みを利用してロサンゼルス郊外の住宅街にホームステイ留学していた。ステイ先のファミリーには同じ年頃の子供たちがいて、映画館へみんなで観に行ったのが全米で大ヒット中の『トップガン』。その時スクリーンに予告編で流れていたのがフェリスはある朝突然に(Ferris Bueller’s Day Off/1986) 【8月6日~9月4日配信】だった。

 英語がいまいち分からなくても、それが「高校生が学校をサボり、留守中の親の車を拝借して親友や恋人と街へ繰り出し、クレイジーで有意義な1日を過ごす」内容であることは理解できた。ジョン・レノンが叫ぶ「ツイスト・アンド・シャウト」を、マシュー・ブロデリックがパレードで口パクする姿が目に焼きついてしばらく離れなかった。そして暗闇の中でポップコーンとコーラを抱えながらこう思った。「あっ、こっちの方が面白そうだな」

『フェリスはある朝突然に』© 1986 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.

 翌年6月。学校帰りに新宿の映画館の前を通り掛った時も、似たような感覚に包まれた。ポスターを見ただけで「絶対に俺たちの世代のための映画だ」と確信した。タイトルは恋しくて(Some Kind of Wonderful/1987) 【8月4日~9月2日配信】。幸いにも一緒にいたショートカット女子好きな友達がメアリー・スチュアート・マスターソンに激しく反応したので、その時は見逃してしまうことはなかった。

 多くの高校生が直面する片想いの苦しみや切なさがフィルム全編に鼓動していた。しかも同い年のチャーリー・セクストンの曲まで流れているではないか。何だよ、このリアルさは!? この2本の映画(今回どちらもJAIHOで配信される!) が、実は「ジョン・ヒューズの学園映画」だということは後になってパンフレットで知った。以来、レンタルビデオで過去の作品を夢中になって後追いしたのは言うまでもない。

『恋しくて』TM & Copyright © 1987 by Paramount Pictures Corporation. All Rights Reserved.

 ヒューズが脚本を書き、監督や製作をした学園映画は『フェリスはある朝突然に』『恋しくて』のほか、『すてきな片想い』 (Sixteen Candles/1984) 『ブレックファスト・クラブ』(The Breakfast Club/1985) 『ときめきサイエンス』(Weird Science/1985)『プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角』(Pretty in Pink/1986)を含めて全部で6本。どの作品から入っても80年代のハイスクール・ライフが鮮やかに描かれている。

 「ジョン・ヒューズの学園映画」が支持された一番の理由は、学校生活や恋愛関係にうまく適合できない個性たちにスポットライトを当てたこと。一匹狼的な不良、オタクや不思議ちゃん、片想い中で告白もできない内気な女子、音楽や美術に取り憑かれた文化系男子など、いわゆるスクールカーストの上位から漏れた人気者以外のタイプをメインキャラにした点がとにかく新しかった。スタイル抜群のチアリーダーや高級スポーツカーで通学するお坊ちゃまに感情移入できない16才や17才が世界中の教室にたくさんいるということを、ヒューズは知っていたのだ。

『フェリスはある朝突然に』© 1986 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.

 日本でもクチコミで広まったヒューズの学園映画

 1980年代半ばの日本のユースカルチャーや東京のポップカルチャーを振り返ろうとする時、アメリカ文化の影響を抜きにして語れない。中でもオシャレな流行や情報収集に敏感な高校生やティーンエイジャーにとって、青春映画やMTVはサンプリングすべきヴィジュアルやお手本となる遊びの宝庫だった。特にパーティやプロムのシーンが放つボーイ・ミーツ・ガール的世界観を無視することなんてできなかった。

 当時、渋谷や原宿のストリートから発信されたアメカジファッションやスケボーのムーヴメント。高感度な女の子たちが買い漁ったソニープラザの輸入雑貨や文房具。放課後に立ち寄ったファーストフード店やタワーレコードからは毎日のようにマドンナやシンディ・ローパーやプリンスが流れていた。さらにバブル経済突入と団塊ジュニア世代台頭による若者人口の増加。そんなパワーが溢れ出した時代に「ジョン・ヒューズの学園映画」は上映された。

ジョン・ヒューズ監督(『フェリスはある朝突然に』のセットにて)

 現在のように膨大な情報がネットワーク化され、常時接続コミュニケーションツールがいつでもどこでも手に握られ、気軽にテキストや動画や写真をスマホで“ググる”こともSNSで“タグる”こともできなかったあの頃。僕たちが異国のカルチャーと繫がる方法は、TV・ラジオ・雑誌・書籍・映画・コンサート・ショップといった一方通行のみ。誰もが情報を発信できて即座にシェアや拡散される今と違って、人とつながる方法は電話や対面しかなかった。

 そんな環境の中で醸成される「ジョン・ヒューズの映画って面白い」というクチコミは、広まるスピード感こそ比べものにならない反面、情報の有り難みや人づての温かみが加って、確実に必要とされる者たちの心に届けられていたのではないかと思う。

 数秒で打たれる「#ジョンヒューズ #学園映画」というハッシュタグより、数日後に友達との会話から耳にする「ジョン・ヒューズの学園映画」の響きに魅了された世代にとって、彼が遺した6本の作品は80年代のハイスクール・スピリットを刻んだ永遠のマスターピースだ。当時高校生だった人は久し振りに卒業アルバムを開くような気持ちになるかもしれない。そして映画を観終わった後、きっとこう思うことだろう。ありがとう、ジョン・ヒューズ。

*ジョン・ヒューズは2009年8月6日に59歳で亡くなった。