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2021.06.21

映画とカルチャーを繋ぐ TAP the CINEMA①

天国の日々~モリコーネが「一番愛着のある外国映画」と語ったマリック監督作

中野充浩

『天国の日々』©1978 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.

テレンス・マリック監督が伝えたかった移民の夢の果て

 テレンス・マリック監督『天国の日々』(Days of Heaven/1978) 【~8月4日配信】を観終わると、哀切であり甘美でもあるという不思議な感覚に毎回包まれてしまう。言い換えればそれは「20世紀のお伽話」(※注)とでも表現したくなるようなもので、心の中にしばらく深い余韻を残す。

 アメリカが第一次世界大戦に連合国側として参戦する直前の1916(大正5)年。物語の舞台となるのは、夕暮れに染まりながら黄金色に揺れるテキサスの壮大な麦畑。そこへ僅かな賃金を求めて蒸気機関車の屋根に飛び乗ってやって来る移民労働者たち。19世紀末からこの時期にかけて1800万人もの新移民が“約束の地アメリカ”に入ったと言われるが、そのほとんどは東欧・南欧系の人々だった。

 しかしいつまで経っても極貧の生活を余儀なくされ、富を得るという夢はどこを探しても見当たらない。それもそのはず、既得権はすでに旧移民のアングロサクソン系に渡っていたからだ。悲しいのは彼らがそんな現実さえ知る由もなかったということ。繰り返し過酷な労働を強いられる姿に、生きることの厳しさを想わずにはいられない(映画には同じ境遇にいたアイルランド系移民やそれ以下の地獄を味わっていた黒人たちの音楽が聴こえるシーンがあるのも、この映画の真髄の一つ)。

『天国の日々』©1978 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.

 こうした中で、若いビル(リチャード・ギア)とアビー(ブルック・アダムス)の愛が秘かに育まれていくのだが、この二人にはいつも屈折がつきまとう。職を得るためにアビーを自分の妹と偽ることから始まり、「いつかきっと変わる」ことを信じるあまり、遂には雇い手である農場主のチャック(サム・シェパード)と策略じみた結婚をしてしまう。広大な大地に構えた一軒の大邸宅は、富に恵まれながらも余命宣告され、やがて事実に気づき始める孤独なチャックの心象風景そのものだった。そして突然訪れる結末。ビルとチャック。一体どちらが持つ者と持たざる者だったのか。

『天国の日々』©1978 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.

 この哀切甘美な物語の語り手となるのが、ビルの本当の妹である少女リンダ(リンダ・マンズ)の淡々としたナレーションだ。この手法はマリック監督の長編デビューとなった前作『地獄の逃避行』(Badlands/1973)でも使用されたもので、犯罪からの逃避行をどこかお伽話のようなムードに変換させる絶大な効果がある。

『天国の日々』©1978 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.

 『天国の日々』はリチャード・ギアの初主演作でもある。また、劇作家として活動していたサム・シェパードが俳優としての実力を垣間見せた最初の作品でもある。さらに映画全体を通じて、他の出演者も含めてセリフが驚くほど少ないことにも気づく。多くの俳優たちは目の動きや表情、さらに全身を使って演技しているのだ。だからこそナレーションが生きてくる。そう、『天国の日々』は未来へ向かって歩き出す少女リンダの物語でもあった。

『天国の日々』©1978 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.

マジックアワーの撮影とエンニオ・モリコーネの音楽

 撮影当時33歳だったマリック監督は、『天国の日々』と向き合うにあたって二つの大きな力を得た。一つは撮影にフランソワ・トリュフォーらヌーヴェルヴァーグの監督たちとの仕事で知られるスペイン人、ネストール・アルメンドロスを起用したこと。もう一つは音楽をセルジオ・レオーネ監督らとの仕事で知られるイタリアの映画音楽作曲家、エンニオ・モリコーネに依頼したこと。アメリカ映画なのにどこかヨーロッパ的な趣を感じられるのは、こうした出逢いの奇跡があったからとも言える。

 照明機材に頼らずに自然光を生かした撮影方法には、ハリウッドのスタジオワークに慣れたスタッフたちから戸惑いの声があがったという。しかし映像第一主義者のマリックは屈しなかった。『天国の日々』はアメリカン・リアリズムの画家アンドリュー・ワイエスやエドワード・ホッパーらへのオマージュであると同時に、「マジックアワー」と呼ばれる撮影用語を広めることになった。

 これは太陽が地平線に沈んだ後に20分ほど光が残る時間帯のこと。この時撮影すると風景や人物が最も美しく詩的な状態で映像に収めることができるのだ(ちなみに物語の設定上はテキサス州の回廊地帯だが、実際のロケはカナダのアルバータ州)。奇跡的な映像の数々はアルメンドロスにアカデミー撮影賞をもたらした。

『天国の日々』©1978 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.

 映画のオープニングで流す曲をカミーユ・サン=サーンスの組曲『動物の謝肉祭』第7曲「水族館」にしたのはマリック監督らしいが、この意向を汲んでモリコーネが他のテーマ曲を次々と書き上げ、美しい映像を引き立たせたことも忘れてはならない。モリコーネにとってアカデミー作曲賞に初めてノミネートされた作品となったが受賞には至らなかった。だがそんなことなどどうでもいいだろう。モリコーネは『天国の日々』を、世界で最も偉大な監督と気の合った仕事ができた「一番愛着のある外国映画」だと語っているのだから。

 なお、テレンス・マリックはこの『天国の日々』以降、映画界から姿を消す(行方不明扱いされ伝説化したが、実際はフランスの大学で教職に就いていた)。そして20年後に『シン・レッド・ライン』(The Thin Red Line/1998)で復活して大きな話題を呼んだ。マリックはエンニオ・モリコーネに音楽を依頼したかったそうだが、様々な事情で実現には至らなかった。モリコーネは自らの偉大なキャリアを振り返った著書の中で、そのことが大きな心残りの一つと語っている。

(※注) 評論家の川本三郎氏は、本作の劇場用パンフレットで「大西部のお伽話」と表現している。

*参考文献/『天国の日々』パンフレット(シネマスクエアとうきゅう)、『エンニオ・モリコーネ、自身を語る』(河出書房新社)、『エンニオ・モリコーネ映画大全』(洋泉社)