香港映画がその製作本数や観客動員力で「東洋のハリウッド」と称されていた時代、香港政府の映画に対する態度は、基本的に市場の論理に任せるというものだった。けれど、かつては年間数百本あった製作本数が、近年は数十本規模にまで減少。年間興行収入ランキングでも、かつての香港映画優位の時代は終わり、興収トップテンはほとんど外国映画によって占められているのが、近年の実情だ。
こうした状況を見て香港政府も、伝統的態度を転換。昨今は、映画への助成に積極的に取り組むようになっている。様々な角度から複数の助成が行われているが、なかでも額が大きく、かつ華々しい成果を見せているのが「首部劇情電影計画」という助成制度だ。英語名称は「ファースト・フィルム・イニシアチブ」。その名の通り、初めて劇場用長編を作る新人監督の作品を対象に、製作費を交付する。
制度が始まったのは2013年。当初は各年度2~3作品を選出し、最高で1作品500万香港ドル(約7000万円)を交付するという規模でスタート。これだけでも相当に充実した助成制度だが、その目覚ましい実績を受けて、さる5月に申請の締め切られた最新の年度(第7回)では、最大6作品、最高で1作品800万香港ドル(約1億1500万円)の助成が受けられるところまで、制度は拡充された。
「首部劇情電影計画」の製作費交付作は、既に日本にも相当数が上陸している。奇しくもそのジャパン・プレミアの場となったのは、いずれも大阪アジアン映画祭(以下、OAFF)。『誰がための日々』(黄進監督)、『どこか霧の向こう』(張經緯監督)、『青春の名のもとに』(譚惠貞監督)、『散った後』(陳哲民監督)、『淪落の人』(オリヴァー・チャン監督)、『G殺』(李卓斌監督)、『手巻き煙草』(陳健朗監督)、『エリサの日』(アラン・フォン監督)などが、上映されてきた。OAFF2017でグランプリに輝いた『誰がための日々』、OAFF2019で観客賞に輝いた『淪落の人』は、その後ロードショー公開されたことも記憶に新しい
この度JAIHOで配信される『私のプリンス・エドワード』(ノリス・ウォン監督)【7月25日~8月24日配信】も、OAFF2020でコンペ部門に入選した「首部劇情電影計画」作品。同計画の作品で既に完成・現地公開されているものとしては最新の回に当たる、第4回(2018年度)の助成金交付作だ。香港電影金像奨で最優秀新人監督賞、香港電影評論学会大奬では最優秀脚本賞に輝くなど、大きな評価を獲得した。
ところで、新人監督を発掘、育成することを第一の目的とする「首部劇情電影計画」だが、実のところそれは、別の有意義な派生効果も生み出している。中国市場に頼らずに、あるいは中国での様々な表現上の制約を気にせずに、映画が作れるということだ。
返還以降、とりわけ中国香港間の経済貿易関係緊密化が進むにつれ、香港映画は香港よりはるかに巨大なマーケットである中国からの収入、出資に多くを依存するようになった。その傍ら、足元の香港人観客のことは、しばしば二の次にされるようになっていく。語られる物語や主題に、香港ならではの特徴は希薄化。中国本土観客のテイストに寄りそった作りが優先されていった。
香港のトップスター、周星馳の作品に、その変化は象徴的に見て取ることができるだろう。彼が役者に専念していた初期から中期の時代、彼の映画は舞台がどこであれ、香港人にしか100%堪能することはできないと言われるほど、香港ローカルなものだった。けれど監督業に重きを置くようになった近年の作品では、香港人じゃないと楽しめないような要素は極力排除されている。物語の舞台も、たいていは敢えてどことは特定し難い、抽象的な中国のどこかだ。ただ、香港人が見れば、たとえ登場人物が広東語を喋ったとしても、それは自分たちの街の物語じゃないことは感じられる。
こうした香港映画業界の趨勢のなか「首部劇情電影計画」が貴重なのは、その手厚い助成額を背景に、中国での公開、中国からの収入を見込まなくても、作品を成立させられる点だ。監督は、香港の現実に根差した”自分たちの物語”を語ることができる。そして、何よりも今の時代を生きる香港人の胸に直接突き刺さる映画を、作ることができる。
『私のプリンス・エドワード』も、まさにそんな映画だ。まず本作は、中国人と香港人の偽装結婚という香港社会の現実を背景にしている。中国人は金銭を支払い香港人と書類上で結婚し、香港IDを取得。こうすることで、米国など海外に移り住むことが容易になる。
ウェディングドレス・ショップで働く本作のヒロイン、フォンも、10年前に経済的な事情から、エージェントを通じて中国人青年と偽装結婚していた。けれど現在同棲中のエドワードからプロポーズされたのをきっかけに、音信不通だった偽装結婚相手と会って離婚手続きを進めようと考える。
物語の基本設定からすると、ヒロインは苦労の果てに偽装結婚という前歴を解消し、“
私のプリンス”エドワードとめでたく結ばれてハッピーエンド、となりそうなところ。だが、フォンの前に立ち現れる現実がそうした図式性を覆してゆき、意外な方向へ物語を発展させていく。派手なアクションや大事件は、発生しない。観光絵葉書的な香港の光景も登場しない。けれどドラマ展開のこの予測不能性と、全編に横溢するたまらないほどの香港ローカル性が、観客をぐいぐい引っ張って離さない。
英語原題(My Prince Edward)と邦題は、同じ意味。一方、中国語原題は「金都」という。そのタイトルが意味するところも、ある程度香港ローカルな知識があった方が理解が深まるかもしれない。
「金都」は、ヒロインの働くウェディングドレス・ショップがテナントとして入る、実在するショッピングモール「金都商場」の名にちなむ。金都商場は、ウェディングドレスから結婚式ビデオの撮影まで、結婚に関するあらゆる商品、サービスを提供する店が揃ったモールとして、香港では広く知られた場所だ。そしてそれは、地下鉄「プリンス・エドワード」駅のすぐそばにある。同時にプリンス・エドワード駅付近の一帯は、中国本土各都市に直通する長距離バスが頻繁に発着する場所としても、よく知られている。結婚、中国との往来……。映画『私のプリンス・エドワード』は、その中国語原題と英語原題を目にした香港人なら誰でも直ちに想起するイメージを核に据えて、物語を展開していった作品だ。
本作で長編監督デビューを遂げたノリス・ウォン自身も、このエリアに生まれ育ったという。映画は、中国の場面を別にすれば、そんな彼女が日頃見てきた金都商場とプリンス・エドワード一帯ばかりで、ほぼ構成されている。美化もノスタルジーも差し挟まず、さり気なく写る街の様子や商場内の空気感が、どこまでもリアルで愛おしい。監督は、自身が育ってきたのと同じ空気のなかを生きる女主人公の恋愛や結婚に関して、こうするのが正解だったのだ、これが正しいゴールなのだという類のことは一切言わない。ただ、日々小さな決断を積み重ねながら、一歩一歩、懸命に人生を続けていく彼女の姿を見せていく。それが、人生の現実というものだろう。そして人生の現実に徹底して根差しているという点において、この映画は香港人だけのものではなくなり、今を生きるすべての人に対してもグサリと突き刺さってくるのだ。