• HOME
  • COLUMN
  • 世界をリードする才能の宝庫 アジア映画の現在⑧

2022.08.02

世界をリードする才能の宝庫 アジア映画の現在⑧

イ・オクソプとク・ギョファンが一緒に作った果実としての<イ・オクソプ映画>

暉峻創三

『フライ・トゥ・ザ・スカイ』

 JAIHOで常時配信中の小公女(チョン・ゴウン監督)やアワ・ボディ(ハン・ガラム監督)をはじめ、『はちどり』(キム・ボラ監督)、『チャンシルさんには福が多いね』(キム・チョヒ監督)など、女性中心の構造を持つ作品から続々と秀作が登場するようになった韓国インディーズ映画シーンの最新トレンドは、日本でも広く認知されるようになってきた。

 第1回コラムでも言及したこれらに加え、最近はパーソナルの極致をいくインディーズ映画で知られてきた『ビッチ・オン・ザ・ビーチ』のチョン・ガヨン監督が、『パラサイト 半地下の家族』『ベイビー・ブローカー』を製作した韓国最大手映画会社CJ ENMの出資を得、『恋愛の抜けたロマンス』でいきなりメジャー・デビューを果たすような例も出てきている。

『なまず』

 第14回大阪アジアン映画祭でグランプリに輝き、このたびJAIHOによって劇場配給されるイ・オクソプ監督のなまず【7月29日(金) 新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー】も、まず外形的には間違いなくこのトレンドの典型に位置付けたくなる作品だ。女性監督が、女性を中心に据え、生き辛くて歪んだ現代社会を背景に物語を語るという点で、なるほど『小公女』や『アワ・ボディ』『はちどり』などと共通点が多いからだ。だが同じトレンドに属するそれらの作品と同様の作風を期待して『なまず』を見に行った観客は、その予想を思いっきり覆す展開や肌触りに、ただただ度肝を抜かれることだろう。

 たしかに本作も、現代社会の歪みや生き辛さを背景にしてはいる。けれど作品それ自体は、重苦しさよりも軽やかな浮遊感の方が全体を支配している。そして人々は、辛さよりも、どこか夢見がちで甘美な癒しとでもいった感情に触れることになる。イ・オクソプは、韓国インディーズ・シーンの最新トレンドにおいて、他の誰にも似ていない異端児だ。

『監督!僕にもDVDをください!』

 ただ、監督イ・オクソプを語るには、一つ留意しておくべき事情がある。最初期の短編を別にすれば、彼女はずっと、『新感染半島 ファイナル・ステージ』『モガディシュ 脱出までの14日間』などの男優として知られるようになったク・ギョファンと一緒に、映画を作ってきた点だ。

 『なまず』でもク・ギョファンの名は、出演に加えて、プロデューサー、脚本家、編集者としてクレジットされている。本作をめぐるインタビューで、彼女は「ク・ギョファンさんはこれまで短編を共同制作してきたパートナーです」と前置きした後、「今までと違ったのは、撮影時はク・ギョファンさんは俳優とプロデューサーに専念してもらい、私は演出に集中する分業体制をとったことです」と述べている(『なまず』公式サイト所収インタビューより)。裏返して言うなら、撮影時以外は「分業」という関係ではなく、密に一体となって創作に当たってきたということだろう。また『なまず』以外の短編では、撮影時も含めてすべてを一緒に作ってきたということでもあるのだろう。

 そんな、2人で一緒に作ってきた日々と、2人で一緒に作った果実としての「イ・オクソプ映画」を振り返るのに絶好の企画が、『なまず』劇場公開に合わせてJAIHOで配信される<イ・オクソプ特集だ。

 紹介されるのは、四年生ボギョン【配信期間:2022年7月29日~10月29日】、監督!僕にもDVDをください!【配信期間:2022年7月29日~10月29日】、フライ・トゥ・ザ・スカイ【配信期間:2022年7月29日~10月30日】、ロミオ【配信期間:2022年7月29日~10月30日】の4短編。

『監督!僕にもDVDをください!』

 このうち、まず触れておきたいのは『監督!僕にもDVDをください!』だ。それぞれ短編を単独監督した実績を持つ2人が、最初に手を携えて作ったのが本作らしい。監督としてクレジットされているのは、ク・ギョファンのみ(主演も兼任)。一方、イ・オクソプの名は、<スペシャルフィーチャー>担当としてクレジットされている。

 監督はイ・オクソプではないものの、本作には既にいくつかの、『なまず』に通じるイ・オクソプ映画の要素が見出せる。その一つが、30分規模の短編にもかかわらず、ゆるやかな章立て形式をとっていることだ。しかも『なまず』がそうであったように、必ずしも章立てしなくても一つながりのドラマとして成立するのに、敢えて章立てしているところが面白い。そして<スペシャルフィーチャー>は、映画の最終章に相当する部分だ。

 そこでは、まさかの大物監督(イ・オクソプにとっては、出身校KAFA[韓国映画アカデミー]の大先輩でもある)と大物男優が登場する。その監督は、映画の道を目指していた自分が挫けそうになった日々のことを、聴衆に向けて語っている。一方ク・ギョファン演じる主人公は、聴衆の1人として、その話をどこか神妙な面持ちで聞き入っている。
 この主人公青年は、どうやら俳優の道を志してインディーズ映画への出演を重ねてきた。でも、あまりうまくは行っておらず、挫けそうになっている。なのでおそらく、あの大物監督が挫けそうになった時、どうやってそれを乗り越えたかを語ってくれたことは、彼の胸に切実に響いた。
 実のところ、人生があまりうまく行ってなくて、地に足のつかない挫けぎみの日々をフラフラと過ごしているというのは、本人が単独監督した『監督!僕にもDVDをください!』に限らず、イ・オクソプと一緒に作られた作品におけるク・ギョファン演じる役柄の、定番キャラクターとでも言うべきものだ。

 『なまず』でも、彼が演じるソンウォンは、定職に就けていない。無職のままイ・ジュヨン演じる看護師の彼氏という身分に甘んじていた彼は、街にシンクホールが出現したおかげで、ようやくその修復工事現場の臨時仕事にありつく。その姿は、どこか『監督!僕にもDVDをください!』の主人公の人生の延長上にあるように見えなくもない。
 ちなみに『なまず』の終盤で、なまずとイ・ジュヨンとク・ギョファンが一堂に揃う高層アパートに囲まれた印象的な広場は、『監督!僕にもDVDをください!』の序盤で、主人公が今は歯磨き粉の販売をしている元インディーズ映画監督と再会した広場と同じであるように見える。また、この短編にしばしば姿を見せる黄色い紙袋の生まれ変わりが『なまず』のなまずなのだと解釈するのは、飛躍が過ぎるだろうか。

『フライ・トゥ・ザ・スカイ』

 ク・ギョファンとイ・オクソプが共同監督名義で撮った『フライ・トゥ・ザ・スカイ』も、挫折した2人の男たちが主人公だ(また、この作品でも部分的に章立て形式が採られている)。革細工職人になることを夢見てイタリアに学びに行ったものの、夢破れて韓国に戻ってきた男。ク・ギョファンが演ずるのは、そんな傷心の彼を韓国で出迎える親しい友の役だ。彼もまた、映画で食べていく夢を諦めつつある。共に大きな挫折に直面した2人が胸に秘める傷を、寡黙に、必要最小限に切り詰めたショットで見せていく語り口が、心に刺さる。

 本作では、彼ら2人以外に、ショベルカーという存在が、後半に至るにつれドラマと画面を活気づける重要な道具として屹立してくる。人生に挫けた男をショベルカーが救い、画面をショベルカーが活気づけるという構造も、後の『なまず』と共通する部分だ。

 また、ここでは韓国における外国人労働者問題を扱った『バンガ?バンガ!』のユク・サンヒョ監督が語ったという「夢が変わるのは、恥ずかしくない。恥ずかしいのは、夢がないことと、夢を言い訳に人生を台無しにすることだ」という言葉が引用される。その言葉は、『監督!僕にもDVDをください!』の最終章<スペシャルフィーチャー>で語られた監督の言葉と同じく、人生における挫折という主題の上を旋回するものだ。そして『フライ・トゥ・ザ・スカイ』の終盤では、リュ・スンワン監督の『ベルリン』を手伝ったことで人生に転機が訪れる話が言及される。今となっては、それはまるでク・ギョファン本人が、その後同監督の『モガディシュ 脱出までの14日間』に出演したことで、大ヒット・メジャー映画の俳優として内外に知られていく姿を予言していたかのようにも聞こえる。

『ロミオ』

 一方、イ・オクソプが単独で監督にクレジットされた『ロミオ』は、その2分にも満たない短さゆえ、ク・ギョファン演じる主人公の夢や志望の類いは語られない。けれど、カメラがとらえるその外見や行動は、それ自体が絶望の具現化そのものだ。彼は、恋人とヨリを戻そうとするも応じてもらえない。
 言わばこれは、恋愛という側面における人生の挫折を主題にした作品だ。ちなみに主人公を言葉で冷たく突き放すのみで、けっして彼の前に姿を現さない恋人の役は、監督のイ・オクソプ本人が演じている。2019年、韓国映画100周年の年に披露されたこの短編は、韓国映画界を代表する100人の監督が各自100秒の映画を作る、という企画の枠内で製作されたものだ。

『四年生ボギョン』

 恋愛に挫折し、人生がうまく行ってない男性主人公の姿は、KAFAの製作による短編『四年生ボギョン』でも、ク・ギョファンによって演じられている(編集も、監督と共同で担当)。キム・コッピが演じる女性主人公ボギョンと4年間、関係を続けてきたものの、彼女は別の先輩を好きになり、別れを切り出される役回りだ。イ・オクソプ作品でのク・ギョファンは、短編であれ、長編であれ、人生の成功者であった試しがない。

 『四年生ボギョン』は、『なまず』に連なるイ・オクソプ映画ワールドの、もう一つの重要な要素を強く示唆してくれる点でも、貴重だ。それは、何ということのない日常の風景に、普段そこでは見かけない異質なものを登場させることで、ある種の異化効果をもたらす、という方法論。異質なものとはいっても、見た試しのない珍しいものや非現実の存在が登場するわけではない。むしろそれ自体は、誰でも知ってるありふれたものだ。ただ、それが今カメラがとらえている日常の風景の中に出現することで、そのショットは一挙に劇的なスペクタクル性を帯びてくる。

 開巻部でいきなり路上に置かれているソファー、駅や電車のなかで主人公たちが持ち運ぶ大きな扇風機などが、それに当たる。その方法論は、なまずやゴリラの登場、道路に大きな穴(シンクホール)が出現すること、主人公がクリーニング屋に出したたくさんの衣類が路上を移動していくことなどの形で、『なまず』においても再現されている。

 イ・オクソプの作品は、『なまず』だけを見ると、人によっては難解で突飛なものと映るかもしれない。けれど<イ・オクソプ特集>の短編4本と合わせて見れば、たちまちの内に誰もがイ・オクソプ(とク・ギョファン)独特の人生観、美学に嵌ってしまうことだろう。監督インタビューによれば、『なまず』は、韓国の詩人リュ・シファの「私たちが穴に落ちた時、私たちがやるべきことは穴を掘り進むことではない。そこから抜け出すことだ」という言葉に触発されて作られたという。でもイ・オクソプ映画という穴にいったん落ちてしまった人は、もう誰もそこから抜け出すことなどできないに違いない。