世界にあまたある国際映画祭の中で、カンヌ映画祭が最高峰であるということは多くの人々が認めるところである。第1回目のカンヌ映画祭が開催されたのは1946年。歴史という点では1932年に開催されたヴェネチア映画祭の後塵を拝しているにも関わらず、カンヌが最高の映画祭であると言われるのには幾つかの理由がある。気候の快適な5月にフランス・リビエラの街で開かれる、という立地条件を上げる人もいるだろう。だが、映画ビジネスという点では、映画の権利を売買するマーケット(マルシェ)が併設されていることの方がより重要である。8月末に開催されるヴェネチア映画祭は、伝統的にマーケットを設けてこなかったこと、また観光の繁忙期に開催されるために滞在費が高くつくことから、積極的に参加する配給業者は少なく、むしろその直後に開催されるカナダのトロント映画祭でマーケットが発達する結果となった。一方、2月に開催され、カンヌ、ヴェネチアとともに3大映画祭と呼ばれるベルリン映画祭はマーケットを併設しているが、アカデミー賞に近いという理由でアメリカからの参加者は少なく、カンヌ映画祭のマーケットとは大きく水をあけられているのが実情である。
かくして、カンヌ映画祭には、映画祭に選ばれた作品の関係者のみならず、映画祭とは直接関係のない映画の売買に従事する映画関係者たちが世界から集結することになり、名実ともに世界の映画祭の最高峰となった。新作映画をどこで最初にお披露目するか、と考えた時、ほとんどの映画関係者がカンヌを想定するだろう。カンヌ映画祭に映画が選ばれるかどうかはその映画にとって大きな影響を及ぼすことになる。一般的に報道されるレッドカーペットの華やかな雰囲気もさることながら、ビジネス上の理由からもカンヌ映画祭は重要なお披露目の場であり続けるのである。
このような理由から、他の映画祭で名を成した監督たちがカンヌ映画祭に挑戦し、いつの間にかカンヌの常連となってしまうことがしばしば起こる。『桜桃の味』で1997年カンヌ映画祭のパルム・ドールを受賞したイランの巨匠アッバス・キアロスタミもそのような監督の代表だ。キアロスタミの作品が国際映画祭で初めてクローズアップされたのは、1987年、スイスのロカルノ映画祭で『友だちの家はどこ?』が銅豹賞を受賞した時だった。1992年、カンヌ映画祭はその映画の後日談とも言える『そして人生はつづく』を「ある視点」部門のオープニング作品として上映。世界はこの傑作に熱狂し、以降、キアロスタミの作品の大半はカンヌ映画祭で上映された。キアロスタミは2016年に惜しくも急逝したが、彼が最後に手がけていた美しい作品『アッバス・キアロスタミ/24フレーム』(2017)【6月21日~8月2日配信】は翌2017年、同作品の完成に尽力した長男アハマッド・キアロスタミ立ち会いのもと、感動的なワールド・プレミア上映を飾った。
一方、監督デビュー作がカンヌに選ばれ、その後のほとんどの作品がカンヌで上映される監督たちも多い。ラース・フォン・トリアー、クェンティン・タランティーノといった監督たちがそうだが、日本の河瀬直美監督もまさに“カンヌの申し子”のような映画作家だ。キアロスタミの『桜桃の味』がパルム・ドールを受賞した1997年、デビュー作『萌の朱雀』がカンヌ映画祭の新人監督賞に相当するカメラ・ドールを受賞した河瀬直美は、その後のほとんどの作品がカンヌでワールド・プレミアを飾り、2007年には『殯の森』で第2席に相当するグランプリを受賞している。もちろん、こういった常連監督の作品が全てフリーパスでカンヌ映画祭に選ばれるわけではなく、時には選考にもれるものもある。だが、カンヌ映画祭が自ら“発見”した映画作家がそれなりの新作を応募してきた時、映画祭側からもできるだけのサポートを行い、その映画作家を盛り上げようとする努力は様々な点で垣間見られる。
『萌の朱雀』がカメラ・ドールを受賞した時、正賞に次いで“スペシャル・メンション”として表彰されたのがブリュノ・デュモン監督のデビュー作『ジーザスの日々』だ。このデュモンもまた、カンヌ映画祭の“申し子”とも言うべき映画作家だ。2年後の1999年、デュモンの監督第2作『ユマニテ』はメインのコンペティションに選ばれ、その年の最高賞パルム・ドールであったダルデンヌ兄弟の『ロゼッタ』に次ぐグランプリと男優賞をダブル受賞。プロの俳優を使っていない低予算のフランス映画がこれほどの高い評価を受けたことは大きな話題となった。更に、デュモンは2006年には『フランドル』で2度目のグランプリを受賞している。その後、しばらく派手な活動のなかったデュモンが久々に大きな注目を集めたのが、2014年にカンヌ映画祭「監督週間」でワールド・プレミアを飾り、その年の「カイエ・デュ・シネマ誌」のベスト・ワンに選出された『プティ・カンカン』【9月14日まで配信延長】だ。それまでのデュモンの作品はやや難解な芸術作品という印象が強かったが、“フランス田舎版『ツイン・ピークス』”とも称された本作は、謎の連続殺人事件をコメディ要素満載で面白おかしく語り、見る者を驚かせた。しかも、一見するとバカバカしいコメディの設定ながら、デビュー作『ジーザスの日々』以降、デュモン作品の一つのテーマであったフランス地方社会の問題も随所に影を落としており、社会派とも言うべき側面を持っている点も素晴らしい。本作の後、デュモンの作風は自由自在を極めている。登場人物たちが次々と空中浮揚する怪作『スラック・ベイ』(2016)、ジャンヌ・ダルクの物語を8歳の美少女を主人公に映画化した2部作『ジャネット』(2017)と『ジョーン・オブ・アーク』(2019)はいずれもカンヌ映画祭で大きな話題を巻き起こした。そしてレア・セドゥを主演に迎えた最新作『フランス』(2021)は本年のカンヌ映画祭コンペティションで上映されることが発表された。
2020年のカンヌ映画祭はコロナ禍の影響でラインアップを発表したのみで開催中止に追い込まれたが、2021年は時期を7月にずらし、リアルな開催を図っている。オープニング作品にはレオス・カラックスのミュージカル『アネット』が選ばれ、またポール・ヴァーホーヴェンが17世紀の修道院を舞台に描いた問題作『ベネデッタ』、ウェス・アンダーソンがフランスで撮影を行った『ザ・フレンチ・ディスパッチ』、アピチャッポン・ウィーラセタクンがティルダ・スウィントンを主役に迎え、南米コロンビアで撮影した『メモリア』など、多くの注目作がカンヌでヴェールを脱ぐことになる。