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2021.08.15

傑作たちが世に出る登竜門 世界の映画祭を見る②

ヴェネチア~変化する世界最古の映画祭~

市山尚三

©Getty Images

 世界最古の映画祭ヴェネチア映画祭は、1932年、総合芸術祭「ヴェネチア・ビエンナーレ」の一環として始まった(そして、現在もなお「ヴェネチア・ビエンナーレ」の一環として開催されている)。初期の上映作品はアメリカ映画とヨーロッパ映画が中心であったが、当時イタリアとは同盟関係にあったせいか、日本映画はかなり初期から参加しており、1938年には田坂具隆監督の『五人の斥候兵』や清水宏監督の『風の中の子供』等が上映されている。第二次世界大戦の激化により1943年から中断を余儀なくされるが、1946年に再開。1951年に黒澤明監督の『羅生門』が最高賞金獅子賞を受賞したこともあってか、1950年代には黒澤明や溝口健二監督の傑作群が次々とヴェネチア映画祭で上映され、ヨーロッパに紹介された。

 カンヌ映画祭のコラムでも触れたが、ヴェネチア映画祭には伝統的にカンヌやベルリンのような「マーケット」が存在しない。厳密に言うと、現在では「インダストリー・オフィス」という名称で海外セールス会社や配給会社が商談を行う場が提供されているので「マーケット」が存在しないわけではないが、参加者は非常に少ない。直後にカナダで開催されるトロント映画祭の「マーケット」が1990年代に急成長し、ヴェネチア映画祭の上映作品の多くもトロントで取引されることがその原因だが、そのためにヴェネチア映画祭は煩雑なビジネスに惑わされることなく、純粋に映画祭を楽しめるという別の利点を持ち合わせることになった。しかも、映画祭は観光地として有名なヴェネチア本島から水上バスで20分程度かかるリド島の中で開催されているため、観光客の姿もほとんど見ることはない。開催期間中にリド島内のホテルを押さえるのが難しい、などの不便さはあるが、カンヌやベルリンにはない親密な雰囲気が感じられる映画祭と言えるだろう。

『私の血に流れる血』

 映画大国イタリアの最大の映画祭ということもあり、毎年多くのイタリア映画が上映されるヴェネチア映画祭だが、現代のイタリア映画界最大の巨匠ともいうべきマルコ・ベロッキオもヴェネチア映画祭と縁の深い映画作家である。1967年、27歳の若さにして監督した第2作『中国は近い』で第2席にあたる審査員特別賞を受賞したベロッキオはこの受賞をきっかけにイタリア映画界の寵児となった。その後のベロッキオの作品の多くはカンヌ映画祭で上映されているが、時折ベロッキオはヴェネチアに舞い戻り、そのたびに観客の熱狂を呼び起こす。2003年、北野武監督の『座頭市』とともにコンペティションで上映された『夜よ、こんにちは』は金獅子賞の呼び声も高かったが、結果的にはベロッキオ本人に対する「個人貢献賞」にとどまった。2015年に上映された『私の血に流れる血』【9月7日~10月6日配信】は賛否両論を引き起こしたが、国際批評家連盟賞を受賞した。

マルコ・ベロッキオ監督(『私の血に流れる血』のセットにて)

 他の映画祭でデビューを飾った新鋭監督が初めてメインのコンペティションに選ばれ、国際的評価のきっかけをつかむことが多いのもヴェネチア映画祭の特色である。例えば、北野武監督は『ソナチネ』(1993)がカンヌ映画祭「ある視点」、『キッズ・リターン』(1996)がカンヌ映画祭「監督週間」に選ばれた後、『HANA-BI』(1997)がヴェネチア映画祭で金獅子賞を受賞し、国際的評価を決定づけた。やはり、ベルリン映画祭の「フォーラム」部門やカンヌ映画祭「監督週間」を経験していたホウ・シャオシェンが『悲情城市』(1989)でヴェネチア映画祭金獅子賞を受賞したのも同様である。ベルリン映画祭の「フォーラム」部門でデビュー作『一瞬の夢』(1998)が高く評価されたジャ・ジャンクーが初めて三大映画祭のコンペティションに登場したのも、第2作『プラットホーム』(2000)が選ばれたヴェネチア映画祭である。ジャ・ジャンクーはその後『長江哀歌』(2006)で金獅子賞を受賞し、国際的評価を決定している。

『アルプス』© Haos Film

 ギリシャの鬼才ヨルゴス・ランティモスは『籠の中の乙女』(2009)がカンヌ映画祭「ある視点」で最優秀賞を受賞した後、初の三大映画祭コンペティションに選ばれた『アルプス』(2011)【9月3日~10月2日配信】でヴェネチア映画祭脚本賞を受賞。その後はカンヌ映画祭の常連となるが、『女王陛下のお気に入り』(2018)でヴェネチアに復帰し、審査員大賞を受賞している。

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: ヨルゴス・ランティモス監督-732x1024.jpg
ヨルゴス・ランティモス監督

 このように芸術映画の新しい波を発見する場として機能してきたヴェネチア映画祭であったが、ここ最近ラインアップに大きな変化が起きている。そのきっかけとなったのがアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督の『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(2014)である。オープニング上映されたヴェネチア映画祭では無冠に終わったこの作品は翌年の米アカデミー賞で作品賞をはじめとする4賞を受賞。その後、2016年のアカデミー作品賞を受賞した『スポットライト/世紀のスクープ』(2015) 【近日配信予定】、2017年のアカデミー最多部門受賞の『ラ・ラ・ランド』(2016) 【近日配信予定】、2018年のアカデミー作品賞受賞の『シェイプ・オブ・ウォーター』(2017)がいずれもヴェネチア映画祭上映作品であったことから、ヴェネチア映画祭でワールド・プレミアを飾り、アカデミー賞につなげようという動きが俄かに起こり始めたのである。更に、2017年、カンヌ映画祭がNetflix製作の『Okja/オクジャ』『マイヤーウィッツ家の人々 (改訂版)』をコンペティションに選び、フランス劇場興行界から猛烈な抗議を受けて翌2018年からフランスで劇場公開の予定がない作品はコンペティションには選ばないことを発表した後、Netflixが製作する劇映画の大半がヴェネチア映画祭をプレミアの場に選ぶことになった。アカデミー賞狙いの作品、及びNetflix作品がヴェネチア映画祭のコンペティションを賑わせることになった結果、そのラインアップは年によってはカンヌ映画祭をもしのぐ派手さを伴うことになった。このため、アジア映画などにとってはヴェネチア映画祭のコンペティションはややハールドが高くなった感はいなめない。ただ、第2コンペティションとも言える「オリゾンティ」部門には非欧米の秀作が顔をそろえており、映画の新しい波を発見する場はいまだに維持されていると言える。
 昨年は黒沢清監督の『スパイの妻』が監督賞を受賞したが、残念ながら今年のヴェネチア映画祭には日本映画の姿はない。それでも、オープニングで上映されるスペインの巨匠ペドロ・アルモドバル監督の『Parallel Mothers』、カンヌ映画祭が上映を熱望しながらも諦めざるを得なかったと言われるNetflix作品『The Power of the Dog』(監督:ジェーン・カンピオン)など期待作がコンペティションに並び、コンペ外招待作品にはドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『Dune』、リドリー・スコット監督の『The Last Duel』など、来年のアカデミー賞を騒がせることが予想される話題作がワールド・プレミアを飾る。『パラサイト 半地下の家族』のポン・ジュノが審査員長を務めることも発表されており、ヴェネチア映画祭をめぐる報道が映画ニュースを賑わせるのは間違いないだろう。